2009年1月5日月曜日

[機械翻訳] 絵の中の料理、料理の中の歴史(コピー元調査)

早速、毎度のようにコピー元調査を実施。
ネタ元はこちらの本になります。

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絵の中の料理、料理の中の歴史
チュ・ヨンハ(著)
四季出版社 (刊行)
本の紹介 - 料理から解き明かす、朝鮮後期社会の誤解と真実。朝鮮後期の風俗画23点に描かれた食べ物を通して、当時の飲食風俗と社会を探る。著者は、朝鮮の飲食文化を大きく分けて、庶民料理、宮中料理、官僚の料理とし、近代の様子とあわせて紹介する。風俗画の全体画と、部分的な絵100カット余りを掲載、多くの文献、史料を比較分析し読者に解説している。
朝鮮の風俗画にある料理を見ると、意外にもキムチは登場していない。映画などでよく見る「農楽隊」もなく、行商の背にはつるつるした陶器の器ではなく素焼きのものが乗せられている。著者はこのように、外国人から見た朝鮮の姿、近代画にごまかされた朝鮮の風景の代わりに、詳細な描写を通して「朝鮮的伝統」の真の姿を伝えている。
著者の紹介 - チュ・ヨンハ-1962年慶尚南道生まれ。西江大・史学科卒。株式会社プルムウォンのキムチ博物館で8年間学芸研究官として勤める。漢陽大・文化人類学科にて論文『キムチの文化、人類学的研究』で修士学位を取る。中国・北京の中央民族大学で「中国四川省涼山李族の伝統漆器についての研究」で博士学位を取得。2005年現在、韓国学中央研究院・韓国学大学院民俗学専攻教授として在職中。
著書に、「料理戦争、文化戦争」、「中国、中国人、中国料理」、「韓国の市場-消え行く我が五日市を訪ねて」などがある。
http://contents.innolife.net/book/qacont.php?qa_table=fs_report3&aq_id=966
目次
はじめに:絵の中に食べ物があって,食べ物の中に歴史がある
1.絵で見る庶民の食べ物風俗
道端に座って,酒一杯飲みながら,お上を考える-キム・ホンド「路傍老婆」
人生の疲れてだるさ中でも飴財産を使い果たして太平聖代を夢見る-柳淑「大快刀」
漁夫の昼休み,ぼら煮物とマッコリ一杯-キム得辛「降霜会陰」
戦々恐々巫女祭りを行うとお供えも不足する-申潤福「巫女神武」
早期捉え豊かだから肩踊りが自ずと出るよ-キム・ホンド「早期捉え」
素焼きの土器を担った陶器長が-クォン・ヨンジョン「トゥンジムジァンス」
大変な草取りをするのでふんだんな鳥本当に食べてみよう-キム・ホンド「水運ヨプチューを」
ありふれている時は旅人も接待する刈りいれと-キム・ホンド「稲収穫」
2.絵で見る宮中の食べ物風俗
朝鮮時代,宮中で牛乳を組んだ-造営席「採油」
朝鮮に来た清国使節,傲慢に七杯酒を受ける-アグクトン「青鉛」
お母さん恵慶宮洪氏の還暦祝いを整えた政調の心-キム得辛他「狼煙党珍饌も」
日本使節,‘僧伽期’を東莱副詞に捧げる-作者未詳「トンネブサジョベサも」
食卓上の西洋食べ物が話すこと-眼中式「朝鮮通商若い男記念宴会も」
3.絵で見る官吏の食べ物風俗
禁酒令,それでも飲まなければならなかった役人たち-申潤福「主死去杯(倍)」
重陽節に退職管理に菊花酒を接待する-キム・ホンド「岐路洗練界も」
102才野茂ギョンス研に男宮中調理士が出た理由-作者未詳「朝食会所」
石合ったホン以上本と筆を握って入る-キム・ホンド「満1才誕生日のパーティ」
婚姻して60年,慶事だ会近縁-作者未詳「回婚礼妾」
炭火牛肉に酒一杯,‘夜宴’の喜び-作者未詳「夜宴」
4.近代的視線で描いた絵の中の‘朝鮮食べ物’
国粋(うどん)枠組みに人が上がった理由-キム・ジュングン「国粋(うどん)押すもよう」
嫁にきた新婦‘大きい賞’を受ける-キム・ジュングン「新婦宴席」
豆で豆腐塩辛くて,祭り準備してみよう-キム・ジュングン「豆腐塩辛いもよう」
新年初日国失った人々が飲んだ‘屠蘇酒’ -眼中式,「タムォンドソフェジも」
おわりに:‘朝鮮’の表象と実在に対して考え直して
参考文献
索引
http://www.aladdin.co.kr/shop/wproduct.aspx?ISBN=8958280719


20080221120359633821110400

作者未詳
19世紀,見本彩色,76 x 39cm,
国立中央博物館所蔵

炭火牛肉に酒一杯,‘野宴’の喜び-作者未詳「野宴」
時 増えた残雪がおりる10月,南大門足元老人南山の山のふもと.
それでも青い姿を誇る松の下に花むしろを広げて敷いて,気が合う連中が囲んで座る肉的肉炙味.
ここにチァルビッは清酒をおろした露酒まで付け加えると身を切る寒さもうらやましいように消えていく。
それでホン席毛(ソンモ)(1781〜1850)は1849年68才の年齢に出した <東国歳時記>欄本でこの風景を置いて

"このごろ漢陽風俗に火鉢に炭火をゴウゴウ吸っておいて燔鉄をのせたダウン牛肉に油,醤油タマゴ,パー(ネギ),ニンニク,粉トウガラシに料理して焼きながらファロッカにまいて座る。これを煖炉会という"

と書いたかもしれないことだ。
東国歳時記:朝鮮末期ホンソク謀議著書. 中国チョ:ンヌムの <兄超世時期>を模倣して,書いた本で,19世紀ソウルの歳時風俗を見回すことができる本だ。
コンセガドゥルの暖炉ヒ風景
今回見る絵は19世紀煖炉会の場面をあたかも証明でもするように描いておいた。
花むしろゴザの上には男五に女二人火鉢を中で置いて囲んで座った。
火鉢にはフライパンが置かれたし,彼の上で牛肉で見なされるコギンドンオリが赤く熟している。
火鉢そばにはおかずと湯も用意された。だんご,菓子と各種ナムルが入れられた大きい皿一つと茶碗二つ,そして終止と器が全三ヶ整えられた粗末な小盤,そして遺棄で作ったような大きい湯器と杓子が置かれた。
宕巾だけ使った男と右手には蒸留酒の焼酎が入れられた酒のビンも席を占めた。
いわゆる権力者らの夜宴が真っ最中広がっている。
毛座布団を底に敷いて北璧に座った男はイ某であるエッセ最も年長者に入るようだ。
たった今右手で肉の塊一点をつかんで口に入れている。
左手には酒杯であるような赤い色の自分を聞いた。パジチョコリに無名トゥルマギ(韓国外套)をかけて頭には防寒用頭にかぶる物のナム岩まで使っていると時は今や真冬だ。
この人の両側には男二人が座っている。
年齢も若くて職位も北壁に座ったこれに達し得ないようだ。
左側に座って,右手に箸を握って肉一点をちょうど口に入れている人は官位を退いた高尚な人であるように,黒いずきんだけを使っている。
オルンジョッに座ったこれは宕巾に黒い色の快子だけトゥルマギ(韓国外套)を上にかけた。
それでも右手に酒のビンを握っていると,この日の主権(株券)は皆この人から出てくるようだ。
北壁に座った人前両側にはトゥレモリを1人の女性2人が座っている。
右側に座った女性やはり毛座布団を敷いているのを見て,向い側に座った女性もそうであることと見なされる。
ある女性は紫色チョゴリに藍色スカートを,も他の女性は緑色チョゴリに藍色スカートを着たのに,チョゴリの長さを見て余炎集女性であるより妓生だったようだ。緑色チョゴリを着た妓生は右手で肉一点を握って宕巾付いた男に渡している。
二人の目つきが尋常でないことにボア一杯入った男の色目を女性は勝つことができないようだ。
これに比べて,紫色チョゴリを着た妓生は頭に無名タオルをまいて座って,肉熟すことを待つ。
北壁の男が二期生に限りない目つきを与えているが,肉焼くことにだけ関心があるように火鉢の火だけ凝視する。
藍色トゥルマギ(韓国外套)に持つ使った若者はずっと右手で箸の上げ下ろしをしながら肉熟すことを待つ。
この人は北壁の老人と違い無名に作った三山巾を使ったのでさらにカラシナをのせて使った。
うずくまって座った姿が一行中で一番若者であることを知らせる。
特に腰の周りに蹴った緑色のズーム分財布にぶらさがった結び目およそ二異色だ。
その後結構年老いていた男がナム岩を頭にかぶって,皮履も脱がないままゴザの上で足を移している。
あたかもこのようにおもしろい席に日落とし込むことができるのかという抗議が左足に埋めているようだ。
赤い結び目ひもでトゥルマギ(韓国外套)の腰をまいたのが北壁に座った人とは同じ給水(級数)に挟まるように見える。
ところでこの席に参加した三人の男は皆防寒用頭にかぶる物のナム岩と三山(サムサン)件を着用している。
事実朝鮮時代ナム岩は庶人,そして男女を分けないで冬に使った防寒用の耳,首屏風の一種でミンガネセはコガネムシと呼んだ。
もようは脳天があけられていて額から耳とボールを分けられるし,首の後枝も覆えるように作った。
材料は主に表地ではシルクが,裏地では柿(感)がやや分厚い毛織物がユングが使われた。
ナム岩は耳を分けるといって泥岩(耳〓),首を分けるとして揮項あるいは護項,風を防ぐといって風遮等で呼ばれた。
貴族夫人らが使うのは別途に組岩と呼ぶこともした。
しかしナム岩の材料で動物の毛を使う贅沢風潮が階層に関係なく蔓延して,これに対する禁止措置がしばしば行われた。
特に1472年(成宗3)に発令された <金歯司牧節>エソはソインの男と女はナム岩と組岩をできないように禁じた。
それで絵でナム岩をひとりは貴族で,そうではない人は皆衆人(中の)だとかソ魂(庶〓)あるいはソインだとか妓生である可能性が多い。
この絵は全体8幅で成り立った風俗図病衆議院韓国服装に該当する。
この絵を描いた作者が誰なのかは知られなかったけれどその内容と手並みでボア19世紀中葉のことではないか考えられる。
特に酔中に訟事下記と路上で客引き行為のような場面があって,キム・ホンドの <ヘンニョプンニョも>私 <平生図>きて似るとみられる。
またキバンでの戦いと今見る野外で肉焼いて食べることとともに朝鮮末期都市で有閑知識人と妓生が儲けはエピソードを含んでいたりもして申潤福風俗画の影響度伺える。
したがって絵はキム・ホンドと申潤福より遅れた19世紀中葉ぐらいに描かれたことと考えられる。
たとえ絵手並みもキム・ホンドと申潤福に比べるところではないが,当時の情況を含んでいる興味ある風俗画だ。
ところでこの絵とほとんど似た構図の風俗画で,団員(単元)キム・ホンドの絵で見なされることが伝えられる。
1901年フランス人ルイ マレンがソウルに少しの間留まった時購入した8幅風俗画屏風に入っているこの絵には,右側の下に'キム・ホンド'という文字と'キム・ホンドの'という印鑑が押されている。
ルイ マレンが死んだ後1962年にパリの気担いで,博物館に寄贈されたこの絵はこの証拠によってキム・ホンドの絵で見なされる。
しかし絵で感じる味は気担いで,博物館のことよりはこの本にのせられたのがより良く見える。
それならこれらが火鉢の火に焼いてある肉的はどのように料理したことだろうか?
すでに <東国歳時記>エソ概要を明らかにしているけれど,朝鮮末期洪萬選(1643〜1715)も <山林経済>エソその調理法を中国の <誓願方>イラン本を引用して,紹介する。

牛肉を切って片を作ってこれを刃物など(無礼なやから刀背)でたたいて淡くしたことを竹串に通して油塩で調味して油が充分に入り込めば炭火に焼く。

ここで'ユ炎'というのは'醤油'を称する。すなわち醤油で牛肉方を調味したという話だ。
たとえ中国の肉的調理法だが,醤油を主としたプルコギ製法を紹介している。
しかしこの絵が描かれた時期には民間や祭りや祭事の時牛肉を使うことはかなり難しかった。
それで前で紹介した <東国歳時記>エは陰暦12月同志の時過ごす祭事の'臘享'時も牛肉を使うことはできなくて山豚と野ウサギ期を捉えたという話が伝えられるほどだ。
地方お上は郷校の臘享祭事で牛肉はもちろんで他の牛肉も求めることができなくて来た君民らを動員して山を検索しても山豚を捉えるように促すこともした。
牛屠殺禁止令で防ぐことはできない
事実牛肉は儒教式祭事で一番上に入るお供えだ。
朝鮮時代王室の祭事でその規模の大きさにより太牢には牛,量,豚が肉庫期のひとりでに使われたし,テレボだ小さい規模の小牢では牛が陥って量(ヤギでいったい)と豚が使われた。
当然民間の祭事で牛肉がひとりでに使われることは非常に難しかった。
さらに朝鮮時代時は牛が移動と耕作になくてはいけない重要な動物だった。
それで王室では牛馬監を設置して,牛と馬の牧畜を専門的にするようにした。
はなはだしきは牛が不足されれば,牛屠殺禁止令をおろす場合も多かった。
こういう渦中に18世紀中葉以後田植えを通じて,稲作を作る方式が三男地方に広まって,牛はより一層重要な労働力と認識された。
それで1763年,1854年,1910年など話と牛をつかめないようにする屠殺禁止令がいつも王室で下された。
結局特別な王室祭事を除いては牛をひとりでに使うことが禁止される常であった。
だが牛屠殺禁止令にもかかわらず,一部貴族らは受領(首領)とあらかじめ塩辛かったり権力を利用して家の祭事に肉的をひとりでに使うために通常に牛を捉えた。
特に肉的は牛肉を広く薄く切って,炭火に焼く。
除喪に上がった肉的は若干熱くなくて味は大いによくないけれど,炭火に直ちに焼く肉的は若干(受ける)乗った味まで加味されて,その味が一品だ。
洪萬選は祭事に上げる肉的の新しい方法を紹介するために <山林経済>エソの上の調理法を紹介したかもしれない。
だが権力者らは一度でも口に引く牛肉食べ物を食べたかった。
たとえ貊炙と幅いや(赤身の肉を広く薄く切ったという意)に対する話が多いが,野外で肉焼くのが好きな韓国人の性格はここから出たかも分らないことだ。
野外で炭火に牛肉を焼いて食べることも良かったが,禁酒令に牛屠殺禁止令の中でこっそりと隠れて,焼酎一杯に肉的を食べることはどれくらいおもしろかったのだろうか?
それで寒い冬にもかかわらず,
連中が集まって,村後方の山にプルコギの臭いを漂いながら妓生らとひそやかな色目を分けているのだ。
その場に初めから参加できない権力者が履き物も脱がないで火鉢の火へ向かう姿が多分逆説的だ。
この絵を描いた作家どんな意でこういう姿を演出したのか分からないが,19世紀朝鮮の高尚な人は私たちが考えることと違い旧リン内道たくさん出たようだ。
私は実践を強調した朝鮮の性理学が持った二重性のためにこのようなことがおきたと考える。
すなわち文や話では大義を話すが,宗教的願望を解決する方法がなかった性理学が巫俗を国家儀礼で採用したりもする絶妙の関係結びが朝鮮後期に起きたためだ。
さらに'小学が実践される世の中'を夢非常に頼もしい趙光祖(1482〜1519)の夢が現実に近づいた19世紀朝鮮で高尚な人のきれいさと共に高尚な人の陰湿で凶悪なことも白日下にあらわれた。
これが結局朝鮮の近代を被動的に作った理由ではないのか?
http://040913.com/bbs/view.php?
id=bbs&no=467&keyword=mark&sn=on&ss=on&sc=on


numlk01@調査中 ver.2008.02.21

 

numlk01|02-21 21:31

ソウル新聞2005.1.29(土) 「19世紀作品の‘夜宴’(野宴・国立中央博物館所蔵)に早ければ松下で寄生(芸者)らをワキに挟んで炭火に牛肉を焼きながら,酒杯を傾ける貴族らの主演がひたすらふらふらする。ここで著者は東国歳時記を作った洪錫謨を思い出させる。洪錫謨がこの風景を見たとすれば多分“このごろ漢陽風俗に火鉢に炭火をごうごう吸っておいてフライパンをのせた次に牛肉を油・醤油・タマゴ・ネギ・ニンニク・粉トウガラシに料理して焼きながらファロッカに囲んで座る。これを煖炉会という。”と東国歳時記に記録したというのが著者の想像だ。絵に登場する人物は男五に女二. 著者が見るのにこれらは権力者らと寄生(芸者)だ。かなり取ったような男らが寄生(芸者)らと交わって楽しんだようなことをずっとある話し方を著者もまたよどみなく繰り広げている。」 http://040913.com/bbs/view.php?id=bbs2&no=736&keyword=%EA%B7%B8%EB%A0%A4%EC%A7%84&sn=on&ss=on&sc=on ..

numlk01|02-21 21:32

YHKのコピー元の記事。調査済み。

numlk01|02-21 21:34

なお、この本自体は既出で、いわゆる”日韓漬け”の時に引用された記事は、この本の紹介記事です。 http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2005012924658

numlk01|02-21 21:42

「この本は、このように韓国の伝統飲食と信じ込まれていたものが、近代の産物であることをみせる。18世紀の救荒植物として普及したものとされるサツマイモが全国で栽培され始めたのは、日本の近代的な品種改良を通じてだった。朝鮮時代の麺類は大部分そばであり、小麦粉が大衆化されたのは1930年代末日本が戦争に打ち込むため、混食を奨励してからだった。」

numlk01|02-21 21:42

「著者の調査によると、キムチが韓国の代表的な食べ物として脚光をあびはじめたのは、近代性が本格的に台頭した1920年代からだ。著者は、ここでエドワードサイードの「オリエンタリズム」とエリックホムスボムの「作られた伝統」を組み合わせた仮説を示す。キムチを韓国の代表的な食べ物と認識するようになったのは、もしかしたら西洋の目を借りてわれわれのものを見たオリエンタリズムの内面化が生んだものであるかもしれないという。また、近代化の流れの中で民族的な主体性を確保しなければならないという差し迫った気持ちがかもし出した「新しい伝統」ではないかという仮説だ。 」

yhkdidikkyh|02-21 21:39

あれ見なくてブログ見たがコルコルコル熱心に苦労しなさい関心ないから;;;;;;

rindoh|02-21 23:09

乙です水仙

numlk01|02-22 01:00

ありがとうございます。

naver007|02-22 00:48

青IDに助言を求めましたところ、ノビアニは純粋国語とわかりました。漢字表記なしです。料理名に漢字を当てはめてないことが多いらしいです。(例・トッポギ、カクテギ) そしてnobiani 以前に「mac-juck」と言った、とのことでした。

numlk01|02-22 00:52

どうもです。毎回その答えが返ってくるんですよね。漢字をあてはめていない料理は相対的に後の時代のもの、或いは、宮廷料理ではないものではないかと思うのですが。どうなんでしょうか。というのも、宮廷で料理をするのは男性の仕事のようですし、ならば漢字表記が残っているはずなんですけどね。

numlk01|02-22 00:56

で、問題なのは、ノビアニやmac-juck(後で確認します)の元になったと言われているものには、漢字表記があるわけで。その点もおかしい。宮廷料理としては、「散炙」で決定だと思います。

xiaoke|02-22 01:41

壁|v´)ノシ∩ 淡々と押す。てぃひひひひ♪

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