2016年10月1日土曜日

プルコギ元祖=高句麗貊炙? 歴史に化けた風説

嘘を読みます<5>韓国料理の誤った根元検索


ぐつぐつおいしいプルコギ.'ドゥーユーノーキムチ?'に続きいつも外国人に自慢に尋ねる料理だ。しかしこの料理と高句麗貊炙の間にまだ確認された連結の輪はない。韓国日報資料写真

中国古代書籍‘搜神記’根拠に
辞典にものせて既定事実化
実際の文献には‘高句麗’表現なくて
料理法関連具体的記録なし
‘長い間の食べ物=立派’浅い談論越えて
史料一つ一つ冷静な分析を

盲信が産んだ嘘ぐらい救済不能な嘘がまた、一つある。 ない記録をあるといって、ついに細部まで加えて創造した‘食文化史’がそれだ。

やがて学者と市民と大衆文化が歴史に化けた風説を互いにコピーして付ける。

ある本に出てくるのに出処をまた見てもそのような記録がない。 該当文献を検索して該当面を見て“そのような記録ありません”と話す。 無駄骨だ。 少しの間ぎこちない沈黙が流れた後斧目を開いた相手が不機嫌な声で鋭く言い放つ。 “私たちの教授様、私の先生があるといいました! あなたが博士様よりさらによく分かるという話ですか?”加えた反論もある。 “ドラマ‘大長今’に出てきます!”

このくらいなら全身に脈がピタッと止まる。 食べ物を置いて本当に必要な考えと対話をする隙間はいつも不足するばかりだったが、いんちき歴史をハードルとみなして格別やりがいない障害物競争からしなければならない。 今、私の頭の中には歴史学者宮崎市定の一言がキラッと光る。

“記録ということは本来その当時とても当然のことは少なくない。 (中略)ある時代の当然のことはその時代を理解するのに最も大切なのだ。 それを分からなければその時代を理解できなくて、無理に分かろうとすればそこでとんでもない誤解ができることになる。”また、私を障害物競争に追いやる頻度が非常に高い食べ物、‘貊炙’がキラッと光る。

‘貊炙=プルコギ’新しい歴史を創造する彼ら

このような形だ。 韓国コンテンツ振興院文化コンテンツドットコムは退屈な高句麗のプルコギで説明する。 この時、貊炙の話の中‘貊’がまもなく高句麗という。 それから中国晋の時代の‘捜神記’には貊炙を作る時“醤とニンニクで料理して火で直接焼く”といったんだ。 仕上げも完ぺきだ。 この貊炙に高句麗に継承されて今日プルコギの元祖になったんだ。 遠い古代で今日韓国に達する味付き肉焼きの歴史がそのように説明される。 貊炙のおかげでプルコギの歴史まで完結するのでまた良くないのか。

今日韓国人が持ったことのすべての教養と常識の出処だとするに値したネイバー. ‘ネイバー時事常識辞典’によれば貊炙は高句麗時代から始まった歴史深い食べ物で、韓国式味噌に眠らせておいて焼いて出す料理でプルコギの元祖という。 その根拠は先んじてみた‘搜神記’だ。 やはりネイバーが提供する斗山百科のプルコギ項目もプルコギを高句麗の貊炙に由来した食べ物で説明した後“貊炙は味付けした肉を串に通して火で焼く食べ物”で定義する。

国が人材と時間を入れて編纂した‘韓国民族文化大百科事典’のプルコギ項目によれば我が国の伝統的な肉焼きは貊炙に由来する。 ここで“貊は中国の東北地方を示す言葉で高句麗を称する言葉”という。 このだけではない。 韓食財団のウェブページもまた、プルコギ項目に“我が国の伝統肉焼きは貊炙に由来した”という説明を付けておいた。 この財団は自ら韓国料理の振興、正統性確立、世界化などを設立目的で掲げている。

分かるに値する。 この項目執筆者は‘搜神記’を読んで見たことがなかったり、でなければ‘搜神記’を読んでも香辛菜に醤にプルコギまで呼び出したとすれば意図を持って積極的に歴史を創造したのだ。


国の金を入れて作った辞書にも貊炙からプルコギが出てきたという話が堂々と載っている。 韓国民族文化大百科事典キャプチャー

直接搜神記読んでみると高句麗ない

遠回しに言う必要がない。 すぐに‘搜神記’を広げる。 ‘搜神記’は4世紀ぐらい東晋人干宝が編纂した本だ。 伝説と民話と讒言が入り乱れた奇異な話集だ。 現実を反映したいくつかの内容はたまに中国王朝が編纂した正史に上がることもした。 貊炙と関連した大きな課題はこうだ.

“胡床と貊盤は翟の器物だ。 羌煮と貊炙は翟の食べ物だ。 太始(265~274年)以来中国の人々が好きになった。 貴族と金持ちは必ずそのような器物を積んで、宴会の日大事なお客さんに先を争って出した。 これは戎狄が中国を侵入する兆しであった”(胡床貊盤, 翟之器也. 羌煮貊炙, 翟之食也. 自太始以來, 中國尙之. 貴人富室, 必留其器, 吉享嘉賓, 皆以爲先. 戎翟侵中國之前兆也)

ない。 高句麗がない。 どんな香辛菜も、ニンニクも、醤も、串焼きも、味付け肉を眠らせることもない。 貊炙という食べ物の名前まで貊という種族でなく翟という種族の食べ物で記録した。 ‘搜神記’は3世紀以来、中国の立場で大体北方蛮夷だと称するほどの種族の風習と食べ物が中国で流行したという事実を記録しておいただけだ。 蛮夷文化の流行がまもなく中国の衰退と蛮夷侵入の兆しという、古代社会にありふれている讒言または予言だ。 この記録の核心はここにある。 そうした中で貊炙という食べ物の名前または料理方法が残っただけだ。 その後見える中国正史または、その他文献の中の貊炙話は全部‘搜神記’を出処にする。


高句麗安岳3号墳壁画. 食材と見える肉と火をつけた場面が描かれているがこれをプルコギ料理する姿で見る根拠はない。

百回譲歩して貊と翟と戎狄が皆高句麗を示すとしても今日のプルコギに近い味付き肉焼きを持って当てる余地がない。 高句麗の香辛菜、醤、醤を入れるための豆と塩、そして食べ物および料理方法に対する具体的な記録と遺物が残っていないためだ。 扶余で高句麗がちょうど伸びをし始めて高句麗が滅びるまで中国正史などが高句麗人の食生活を入れることはあった。 ただしその記録があまりにも断片的なので材料、料理方法、食べ物の細部は明確でない。

図では4世紀に造成された高句麗安岳3号墳壁画が当時台所の姿をよく見せる。 火をつけたかまどとカマ、そして色々な種類の四つ足獣が鉤にぶらさがってかかった姿が図の中に明らかだ。 そのままそこまでだ。 味付き肉焼きを、しかもプルコギを工面するには文字も図も遺物も不足して漠然とする。

合理的な判断力がある人ならばかえってこれより先んじた貊炙記録がないのかから気になるだろう。 ‘搜神記’に先立って少なくとも3世紀初期に漢で編纂された辞典‘釈名’に貊炙が登場する。 この記録は“貊炙は、丸ごと焼いて、各自の刃物で薄く切る。 蛮夷(胡貊)の方式から出た(貊炙、全体炙之、各自以刀割出於胡貊之為也)”という簡明な説明をしている。

ここで貊炙の輪郭があらわれる。 モンゴルで中央アジアからヨーロッパに至るまで今日どの遊牧民族にでも、そしてその後裔に残っている、直火焼きの四つ足獣丸焼き料理話だ。 これは人間が草食動物から雑食動物に変わる頃はるかに遠い人間のご先祖が試みたらしい方法だ。

胡貊は遊牧民族のローテク料理

誇張を加えて話せばネアンデルタルもホモサピエンスも試みたらしい料理法だ。 ある記録を平たい気持ちで読解して見れば、胡貊に古代特定民族や今日の特定国家を挟んで入れる隙間は見られない。 あるならば地球上どの民族でもしたほどの基本技術(Low-tech)食べ物があるだけだ。 ‘搜神記’や‘釈名’が見せる食べ物はプルコギではない。 ある種族または、民族なのか分からない人々の基本技術肉焼きだ。

ここらで今一度怒り出して崔南善‘故事通’を頼る方もいる。 やはり‘故事通’を読んだことない方々だ。 崔南善は“貊炙まもなく扶余式肉焼き”と書いた。 それのみだ。 前も後も論証も根拠もなしでそんなに書いておくだけだった。 高句麗もない。 ‘故事通’を持って貊炙とプルコギの歴史を云々するということまた、歴史を創造する危険が大きい。

ただ舌を打ってしまうことでない。 このように創造された貊炙とプルコギの歴史もまた、深く読んで吟味する必要がある。 他の何より古くなったとだけすれば食べ物に威厳があって、それだけですでに立派だと感じる生半可で浅い考えから冷静に凝視する必要がある。 これこそ反省して直して当然な韓国人の慢性だ。

食べ物に対する学者の研究と市民の教養があまねく不足することも直視しなければならない。 食文化史研究は資料下やまともに読めなくて踏襲に陥っている。 市民は検索の窓とって出る内容をコピーして付けることで充分だと感じる。 このような雰囲気では去る食べ物歴史に対する深い理解度、今日の食べ物現実に対する正当な認識も不可能だ。

退屈な関った嘘が喚起するのは今日の韓国社会だ。 各々食べ物に対して話す言葉が多くて誰でも数千年を逆らって上がるが、実際には過ぎた歴史にも今日にも誠意がない韓国人のみすぼらしい食べ物談論だ。 知っていることは分かるといって、分からないのは分からないといって証拠が不足すれば不足するといわなければならない。 不足するのでさらに慎重でなければならない。 そうしてまともに勉強を始めることができる。 偽りと無駄な空想に持って付けた説明は勉強の余地を切ってしまう。 その次勉強の芽を踏んでしまう。

孤影食べ物文献研究者

http://www.hankookilbo.com/v/1863f5ebcff24e47ba9a369499206692

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