2016年10月1日土曜日

発酵が韓国だけか、食品の特殊性に対する錯覚


嘘を読みます<11>世界どこにもある醗酵食品


各地域の発酵食品. 左側の上から時計方向でアミの塩辛、ハモン(スペイン),マスカーポーネ(イタリア),下腿(中国),ヌオンマム(ベトナム),リコッタ(イタリア).

中・日からヨーロッパ国家まで
世界的普遍性持つ料理法
‘韓国だけの特徴’考えは間違って
血スンデそっくり似た仏‘ブーダン’等
血・内蔵も広く広がった食べ物
‘固着’なった視野破ってこそ発展余地


近所の料理人から聞いたエピソードだ。 イタリアで仕事をする時、イタリア人コック長が尋ねたって。 “韓国料理の特徴は何なの?”が料理人が半自動で答えた。

“発酵!”するとコック長がプッと笑ったって。 “世の中に発酵のない料理もある?”

前後なしで“発酵”してしまったので“韓国では料理をする時首枷をかけられます、火を使います”のような声になってしまったわけだ。 莫大な予算が投入された韓国料理世界化政策の水準もこれと違うことがなかった。 これは食文化の地域性と特殊性をどのように思考するのかの問題でもある。

例えば、醤と酒は代表的な発酵の産物だ。 醤と酒なしで生きる地域、民族はない。 アジアとヨーロッパあちこちのヨーグルト、クリーム、チーズは韓国の醤に劣らない発酵文化史と内面を握った食品だ。 隣国中国や日本の個性があって繊細な豆醤文化を知らないふりできない。 東南アジアの人は魚を使って魚醤を入れる。 魚醬だけでなくこの地域の塩辛と塩辛汁文化は韓国ぐらい多彩だ。 牛、羊、山羊、ヤギを打って生きてきた人々は家畜の乳を発酵させた食べ物を発展させた。 マスカールポーネ、チーズ、リコッタに達する繊細な区分と使われることを見ていれば韓国の醤に劣らない厚い発酵文化が手にとるように近づく。 中国のファトェ、ヨーロッパのハムやハモンもまた、韓国人が努力して習うほどの発酵を挟まった肉食べ物だ。 中国またはモンゴル式ファトェを習って畜産物を活用しようという提案はすでに18世紀に登場した。

ここでなぞを一つ出す。 合わせてみなさい。 写真の中食べ物は何か?


血スンデと似たフランス食べ物‘ブーダン’. クォン・キボン提供

見るやいなや龍仁どのあたり、または、天安であり醴泉を思い出させる方があるようだ。 または、全州市場通義どの路地が浮び上がる方もあるようだ。 平安道、咸鏡道、束草の‘アバイ’が抜けてもさびしいようだ。 合う、その食べ物だ。

豚一匹で得ることができるあらゆる部位の肉を充実して貯蔵する。 肉だけなのか、豚の筋であり筋膜であり食べることができたと思えば捕えられ次第かき集める。 家ごとに好きな野菜や穀物などの副材料を加えて牛を用意する。 血も抜けられない。 血は牛の質感と味を左右する画竜点睛であり含有量で見ても主材料級だ。 準備された牛を豚腸に満たして入れて良い暮らしをするということ出す。 来た韓国人が好んで食べる食べ物一つがこのように生まれる。

スンデ、ブーダンと、ブラック プディング、ハーギス、グァンチャン

正解は‘スンデ’であろうか? 合ったり間違ったりもする。 材料を得る方式、材料に対する態度だけおいてみればスンデだ。 ところで写真の中食べ物を正確に取り上げて話せば‘ブーダン(Boudin)’というフランス食べ物だ。 ブーダンとはゆでたり蒸しても良くて、汁に出したり野菜を加えて焼いたりもする。 先知をたっぷり使う方式に注目すればまちがいない血スンデだ。 マルセイユ、リヨン、パリだけでなくフランス本土で遠い島であるレウィニオンエソも大衆が好んで食べる。

フランスの隣英国にも似た食べ物がある。 ‘ブラック プディング(Black pudding)’は豚腸に豚血をたっぷり満たして作る。 血のために色がどんよりして薄黒くて“ブラック”だ。 似た食べ物は大西洋渡って北米にもある。 奴隷労働に苦しめられた黒人に、豚の骨、内蔵、つま先、耳、尻尾、血は有難い蛋白質供給源だった。 この跡は現在でもアメリカ黒人の“ソウルフード(Soul food)”に残っている。

イタリアの人も、スペインの人も、ドイツの人も、ロシアの人も四つ足獣の血と内蔵を軽くしない。 スコットランドの人々は羊の切れ端肉と内蔵を充実して使ってブランコの代表食べ物‘ハーギス(Haggis)’を作る。 ハンガリーの人々に鹿血は最高のソーセージ材料だ。 中国のグァンチャン(潅?) も、血と内蔵をあまねく活用したスンデのいとこだ。

四つ足獣の切れ端肉、内蔵、血を倹約するように活用して、腸に野菜と穀物を混ぜた牛を入れることは同じことだが、細部は地域ごとに違う。 例えば韓国人には米や弔歌スンデの材料になる穀物だ。 最近ではデンプンククスである唐麺が重要な材料に浮上した。 だが、韓国スンデには燕麦やレンズ豆が入らない。 他の材料はどうなのか. ヨーロッパと北米はこの系統食べ物で相変らず宿主を分からない。 韓国人は豚の小腸と大腸まであまねく使うが反すう動物の胃に牛を刻んで入れたことはない。 地域ごとに香辛料と酒、調味料を使う方式もみな違う。

赤身の肉だけ選ぶ豊かな時代

歴史以来地球上どの地域どの民族も四つ足獣の赤身の肉だけ選ぶ程豊かに生きてきたことがない。 赤身の肉を塊りごとで焼いて各々ある皿ずつ食べてしまう食生活が登場したことは最近だ。 血内がむかつく、内蔵見ることが気味が悪いという感覚もまた、最近新しく生まれた感覚だ。

人類歴史上由来がない強大国アメリカもそうした。 1928年アメリカ大統領選挙に出た共和党候補ハーバート、フーバーはこのような公約を叫んだ。 “休日にはすべての家庭の鍋に鶏を、すべての家のガレージに自家用乗用車を!” 1920年代にも強大国だったアメリカの政治家が豊かな未来を約束する時、鶏一匹は乗用車一台と釣り合った。

動物性蛋白質は大事な食材料であった。 血は血のとおり、内蔵は内蔵のとおり、切れ端肉は切れ端肉を倹約するように有難く食べなければならなかった。 人類は長い間の料理経験と味覚判断を通じて、与えられた材料を残らず最後まで食べてしまう方法を探した。 その奮闘の跡がスンデ、ブーダン、ブラック プディング、ハーギス、グァンチャンなどに刻み込まれた。

この系統食べ物を楽しむ人々に血特有の血のにおい、切れ端肉と内蔵の脂くさいにおいは材料と食べ物の個性と特徴を圧縮して表わすうれしい風味だ。 血のにおいと脂くさいにおいが濃厚でこそ“まともに”料理されたとし手をたたいて、大都市レストランがいわゆる“悪臭”を努めて分けた料理を出してくればでたらめだと手で遮る。 この感覚は民族と地域を分けない。

私だけ特別だという錯覚捨ててこそ

発酵は韓国人にだけ、韓国料理だけで特別な方法でない。 豚や牛の血と内蔵は韓国人にだけ、韓国料理だけで特別な材料ではない。 地球共通の有難い材料だ。 このような方法と材料で生まれた味覚感受性と料理方式、そして食べ物には世界的な普遍性がある。 そしてこの普遍性を正当に認識してしまってから地域性または、特殊性に対する繊細な認識に至ることができる。

韓国人が外来食べ物を楽しく合う余地、韓国料理が外国人に個性と属性をさらによく誇る余地は食べ物文化の普遍性と特殊性に対する合理的理解から始まらなければならない。 人は誰でもどこででも限定された資源を最大限活用して生きてきた。 豆、魚、牛乳がふく発酵香は互いに通じる。 年齢年を取って落ち着いている韓国酪農農民は豆醤の発酵香でチーズの発酵香を類推したりする。 人は誰でも血のにおいも引き受けて脂くさいにおいも引き受けて生きてきた。 私が住む所で出る穀物、野菜、香辛料が血なまぐさいにおいがして脂くさいにおい私は食べ物に異彩を加えて地域色を加えた。 広く共有できる風味はお互いの接点になることができて、少しずつ他の材料と方法はお互いの違いを受け入れる楽しい契機になることができる。

どんな材料、どんな方法が出してあって、出して特殊だったようにふるまったら他の世の中の食べ物を正しく見ることはできない。 私の食べ物を深く覗いて見る機会まで失う。 この時、食べ物を見る目に固着ができる。 食文化で地域性と特殊性は“固着”とは全く違う範疇だ。 特殊は普遍と会って躍動的にその内容と輪郭を更新する。 おかげで地域性はより一層豊富になる。 固着が頭を差し出せば躍動性は消える。 私をさらに豊かにする余地、さらに広い世の中で出た通路も消える。

孤影食べ物文献研究者
 
http://www.hankookilbo.com/v/5db80e61318e4ba2812d23eecf8d11c1

1 件のコメント:

  1. 少し長めの文章を書くと、主題がドリフトしてしまう韓国人の作文の特徴が表れています。論文の構成をしっかりしないといけないんですけどね。

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