2022年1月10日月曜日

コグマ(さつまいも)=孝行芋

 


◇サツマイモの歴史◇

 1605年、野國總管によって中国福建省から琉球にサツマイモが持ち込まれたとされています。やがて、薩摩(鹿児島)・長崎・関東などで広く栽培されるようになります。

 上県町久原の農家の次男である原田三郎右衛門は、少年時代に厳原で陶山訥庵(1657~1732年)という、農政で活躍した儒学者の教えを聞き感銘を受け、苦労して海を渡り薩摩に侵入し、藩外持ち出し禁止の種芋を対馬に持ち帰ったと伝えられています。
 サツマイモは、山がちで耕地の少ない対馬の食糧事情を大きく改善させ、何度も飢饉を救いました。三郎右衛門は「甘藷翁」と呼ばれ、その業績を称えた記念碑も建てられています。
 対馬ではサツマイモのことを「孝行芋」と言いますが、「農民に孝行する芋」という意味で訥庵が名付け、住民に広めたという説もあります。さらに

サツマイモは朝鮮に渡り、コグマ(孝行芋の発音がなまったもの)と呼ばれるようになります。現在も対馬ではサツマイモを「孝行芋」と呼び、大切にしています。



https://www.alic.go.jp/joho-d/joho08_000141.html


韓国では江戸時代以前から日本と外交貿易とともに外交使節団である通信使を派遣していたのですが、1764年に来日した通信使のリーダ趙嚴(1719~1777:朝鮮時代の官僚)により、サツマイモが入っていくようになります。彼は韓国の釜山で行政長官を歴任していたこともあり、常に飢饉などで苦しんでいた百姓のため、飢饉対策を考えていたところ、来日する前から対馬側から聞いていたサツマイモに注目します。日本で日本の文人だちと交流を深めると共にサツマイモの種子と栽培法を得て帰国します。その後、済州道などに試してみますが、対馬の土地と似ている済州道で栽培が成功し、日本と同じく救荒用作物として用いられ、次第に全域に広まっていきます。ちなみに「고구마」の名は、今も対馬では「コグンマ」と呼んでいるようです。言葉って面白いですね^.~

1 件のコメント:

  1. てくてくの雲南省支援と朝鮮英祖代のさつまいも流入
    https://etajimania.com/some/tektek/

    返信削除