ジュヨウンハ|韓国学中央研究員教授
入力:2011.07.05 21:13:45 修正:2011.07.13 10:52:04
・スユクを薄く切った料理が片肉…豚頭が逸味
朝鮮時代の人々が料理を上に整える時どんな規則を有していたのか非常に気になるが不幸にも19世紀中盤以前の文献のうちでまだこれが発見されたことはない。 ただし19世紀末頃に使われたと思うようになる <是議全書·飮食方文>の末尾に‘飯床食刀’が出てくるだけだ。 この本の‘飯床食刀’には九妾飯床・七妾飯床・五妾飯床・そば床・酒床・神仙炉床・イムメ床の食膳規則が図で描いている。 ところでそば床・酒床・神仙炉床を除いた残りの床には皆にはハングルで書かれた‘熟肉(숙육)’との料理が出てくる。 それだけこの本の著者は熟肉を膳を調える時必ず出さなければならない料理で理解するようだ。 熟肉とはどんな料理か? 当然この本にその調理法が出てくる。 漢字で‘孰肉’と使ったが、おそらく‘熟肉’の誤りと見える。 “牛の胸肉・孵化・道ホ・乳筩・牛嚢・牛頭・事態・利子・猪肉をみなゆでて切ってスナニラ. ゆで骨カルに合わせてボーに安くて押して使えば良いのだ。 猪肉は醋醬と塩辛汁とコ・朝粉入れて使ってニンニク チョミョ包んで食べることでいやハ出るのだ。”
知ってのとおり牛の胸肉は牛の胸についた骨と肉を示す。 孵化は肺を示すボアの誤りと見える。 道壊す脾臓で脾臓部位を示す。 乳筩は牛の乳房の肉を呼ぶ言葉だ。 牛嚢は牛嚢で鉄金玉を意味する。 牛頭は牛の牛頭肉だ。 事態は牛のひかがみについた肉塊を示す。 利子はすい臓の他の言葉だ。 猪肉は低肉(저肉)まもなく豚肉と呼ぶ百姓らの言葉だ。 たとえこの本では牛肉の肉塊あるいは内蔵部位、そして猪肉だけを言及したが、広い意味で熟肉は肉をゆっくりゆでて出して水気を抜いた料理を示す。 ところでゆでて骨を選んだ後に風呂敷に安くて押して使えば良いといった。 熟肉を薄く薄く切った片肉を念頭に置いてこのように書いたようだ。
朝鮮時代文献で‘片肉’という単語は大きく二種類の意を持って使われた。 その一つは肉切れを示す時使った。 他の一つは料理の名前としての片肉だ。 概して19世紀中葉から熟肉を薄く切った料理を最初から片肉だと呼ぶようだ。 1865年(高宗2年)陰暦10月1日景福宮の光化門左側に議政府が改築した。 同じ年のような月12日、これを記念して高宗が議政府を直接訪問した。 議政府では高宗が座った席に藥果・茶食・梨・柿・ユズなどと共に肉類で片肉・煎油魚・華陽炙・甲膾と各種焼き物をした皿ずつ上げた。 この内容は <親臨政府時儀軌> という本に出てくる。 おそらく現在まで片肉が独立した料理名前で登場した文献はこの本が初めてではないか見なされる。
1924年出版された <朝鮮無双新式料理製法> で李用基は‘片肉食べる方法’という項目を置いて本格的に片肉に対して扱った。 ところで彼の片肉に対する論評が全く肯定的でない。 “片肉というのは自來食性であり風俗であり習慣というだけのものとか、わずかな違いにすぎず、薬は捨てて残滓を食べるわけだから、円、良い肉味はみな抜けたもので何でそんなにおいしくて滋養になるだろう。”このように片肉に対して言及して李用基はひたすら古くなった慣習だとやむを得ずこの本に書いただけという心情を明らかにした。
この本の他の項目では主に‘作る方法’と書いたが、唯一片肉では‘食べる方法’と書いた。 それと共に牛の胸肉片肉・オプジン片肉・猪肉片肉・牛の頭片肉四種類を扱った。
この中でオプジン片肉のオプジンは牛の胸についた肉を示す。 オプジン片肉は“日増しに持って行ってゆでればスープが第一ですあるいは肉は味も良くてククスにかって食べるのが一番良いから片肉のうちで相等になって出るだろう”とした。 実際に日帝時代調理所と新聞・雑誌に紹介された片肉は主にそれ自体よりは他の料理の材料で使われた。 日帝時代平壌料理で有名だった魚腹錚盤に入る片肉もオプジン片肉が一番上だった。 “当初には牛肉で作るのかを違って魚内蔵もって作ったことだと魚腹といったことのようだがその後には牛の内蔵に牛の骨髄を混ぜておいて作ったようで次には牛肉に牛の骨髄を混ぜて入れて作ってついに今の魚腹醤湯になって話はようです。 ところで今の魚腹醤湯は純然な淡い雌牛の胸パックが購入-京城で‘ジュプジン’といわゆる片肉を作る肉-で作るのにその中にもよく作る魚腹には今でも骨髄を入れたというが大慨は値が高くて救うのが難しい理由で骨髄は入れないで‘ジュプジン’肉でだけ作るといいます。”(東亜日報1926年8月22日付)
<是議全書·飮食方文>に出てくる‘飯床食刀’.
図上の九妾飯床は外側の下で左に半分、塩辛、佐飯、煎油魚、熟肉、キムチ、膾、ナムル、サム、焼魚、ユク焼き、羹.
内側は下で左に最初、カラシ、チロン(醤油)、両ジョチ、魚ジョチ、澄んだジョチ.
下の図は七妾飯床で外側の下で左に半分、塩辛、佐飯、膾、キムチ、熟肉、ナムル、サム、焼き物、羹.
内側の下で左に醋醬、カラシ、チロン、味噌チゲ、澄んだジョチ.
図上の九妾飯床は外側の下で左に半分、塩辛、佐飯、煎油魚、熟肉、キムチ、膾、ナムル、サム、焼魚、ユク焼き、羹.
内側は下で左に最初、カラシ、チロン(醤油)、両ジョチ、魚ジョチ、澄んだジョチ.
下の図は七妾飯床で外側の下で左に半分、塩辛、佐飯、膾、キムチ、熟肉、ナムル、サム、焼き物、羹.
内側の下で左に醋醬、カラシ、チロン、味噌チゲ、澄んだジョチ.
ここの‘ジュプジン’がまさにオプジンだ。 李用基はオプジン片肉をアミの塩辛に油と粉唐辛子を打って片肉を細かく切って入れてしたが混ぜ合わせ食べたりもするといった。 前の東亜日報の魚腹錚盤を書いた人‘ポ・ドゥルスェ’も“ソウルのいわゆる牛のスープ具味付けするように色々な調味料(ヤンニョム)を下野その肉を煮出した湯に入れておいたので果たしてどれくらいおいしいでしょうか”と感心をした。
1921年版方信榮(1890~1977)の<朝鮮料理製法> では別に片肉調理法を言及しないまま、ククスビビンで“ククスをお湯にゆすいでおいて器に入れた後おいしい大根キムチやナバクキムチと梨と片肉と猪肉片肉をまま打って入れて少しの間混ぜておいてまた油をさしてセリ油で炒めて切って入れて擦って接待に入れた後いろいろまま打ったのと錦糸卵まま打ったのとまた、椎茸ソクをまま打って油に炒めて上に根百合と”とした。 冷麺にも“片肉と猪肉片肉をまま打って入れて”、さらにトンチミ汁の冷麺にも“ダイコンと梨とユズを薄く薄く切って入れて猪肉切って卵送って鞭打って入れて胡椒実柏子を入れて墨出るのだ”とした。 おそらく片肉はオプジン片肉が明らかに見える。
李用基は彼の本で‘猪肉片肉’を言及して括弧中に‘猪肉’と別途表記をしておいてそれが猪肉であることを確認させる。 “猪肉は色々なものが片肉で使うので頭が一番上になるのは皮と耳と鼻がみなそれぞれおいしくてその次には乳筩が良くて足首は八珍味に入ると言って好きだが丈夫な心列が足首にはあって足首一つに骨が緑豆半チャゲ(緑豆を半分で裂いたこと)のようなものがあって数が二十六個とし、味も格別ヤン良くなくて食べるにも苦しくてかえってカルビがおいしいから育成紙を蒸し器に蒸してこそおいしいのだ。”まもなく猪の頭片肉が最もおいしいという事実を強調している。 普通ソウルや南部地域の人々はこの猪肉片肉を食べる時必ずアミの塩辛につけて食べた。 だが、北側の人々は塩につけて食べてこそ良い味が出ると感じる。 李用基はこれに対して北側にアミの塩辛が尊くてそうなのではないか考えた。
オプジン片肉や猪肉片肉は今でもなじむ片肉だ。 これに対し比べて李用基が言及した牛の頭片肉食べる方法は非常に特異だ。 “牛の頭を脆くして大きく切って夏に冷水に氷入れて牛の頭の部分を入れて漿果葱とゴマ塩・粉唐辛子・カラシなど水を入れて青唐辛子を分けて入れて汁をすくって食べて肉は最初につけて食べるものの大根の葉キムチと付け加えれば合奏(夏に飲むもち米で漬けたドブロク)酒のつまみに上騰されて出るだろう。”これだから朝鮮料理屋で片肉は酒の肴で人気が高かった。
前の <是議全書·飮食方文>でも見たように牛の胸肉は熟肉の材料のうち一番上に選ばれた食材料であった。 李用基やはり牛の胸肉片肉を四種類片肉のうちで一番最初に挙げた。 “牛の胸肉は牛の肋間の肉がいいが硬く告訴するブンイヨの中では硬くて丈夫な味がなく後方にフドゥルドゥルしたのが香ばしくて味が一番良いから草の葉っぱのように切ってモスム(一握り中に入るほどの分量)ごと醋醤につけて食べて株漬けキムチやカクテキに付け加えるのも非常に良いのだ。 また、アキアミの塩辛につけて食べることがより一層良いのだ”とした。 ひたすら牛の胸肉片肉だけがそれ自体で立派な一品料理になった。 高宗が1865年陰暦10月2日改築した議政府で召し上がった片肉も明らかに牛の胸肉片肉であっただろう。 ところでこのごろの人々は片肉といえば猪肉で作ったことで、スユクといえば牛肉で作ったものと考える傾向が強い。 スユクは熟肉と漢字語を発音するのに良くさせた民俗語彙だ。
片肉と似た料理の名前でこのごろ流行するのは‘ポッサム’だ。 本来‘ポッサム’はゆでて骨を抜き出した豚などの牛頭肉をボーに包んで重いことに押して丈夫にさせた後切って食べる料理という主張(パク・カプス、‘八字(注:運命)のせい、ポッサム - 褓(ポー)’、 <ハングル漢字文化> 114,2009)もある。 前の <是議全書·飮食方文>でも出てくるように風呂敷に包んで押さえられたので‘ボー’がついてこれを白菜キムチに安くて食べるのに‘サム’になった。 今は豚の三枚肉を主に使うが、本来は李用基が猪肉片肉で明らかにしたように猪の頭肉がたくさん使われた。 1966年7月28日付東亜日報では豚値が暴落したという便りを知らせた。 ところでその理由が逆説的だ。 “アメリカ余剰農産物の導入量が減ってふすまの値が上がったためだ。 政府が豚を育てろと奨励したし予防注射薬の発達で伝染病の威嚇は少なくなったので豚家族は増えたが食べさせるのが大変だ。 高い飼料に育ててこそ飼料値も出てこないとむやみに部屋鷹するという。 一ヵ月前に3千ウォンずつしたことが今は半額に売買されると(京畿道利川の場合).”
別名‘ポッサム家’の流行やはりそれほど古くならなかった。 概して1980年代中盤以後だ。 片肉材料の代名詞であった牛肉がその場を豚肉に渡した時も概してこの頃だった。 知ってのとおり豚肉は韓国の人に別に人気がなかった。 漢方薬を食べて豚肉を食べれば髪の毛が白くなるといううわさ、豚肉に寄生虫があって誤って食べれば死ぬことになるという俗説、さらに豚は牛とは違い人の料理を共に食べるので競争者だったので。 牛肉値の暴騰を防ぐために1970年代初期以後政府では食品学者と料理学者まで動員して絶えず豚肉の栄養と調理法を広報した。
結局1980年代初期以後豚肉消費量は牛肉を越えた。 豚ポッサムの流行も分かってみればこのような政策の結果であった。 脂身を抜いてあらゆる薬剤で煮込んだ豚肉片肉の変身である豚ポッサムは明らかに栄養価多くの料理だ。 さらに白菜キムチとともに付け加えるので逸品にならざるをえない。 だが、その後には国民の食欲も管理する政府があった。
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201107052113455&code=960100&s_code=ac094
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