2014/03/14
今日は季節が変わって春になったので春季に私はプッコッで夕食ある膳を調えてみます。 食欲舌鼓を打たないでください。 最初は湯なのに春なら薺菜にオキシジミ入れてテンジャンクッ沸かせば格別味だけれどこの頃は季節がちょっと遅れたのでホウレンソウや声屋に代わってオキシジミ入れて脂ちょっと入れてもやしと豆腐ちょっと混ぜてコチュジャン少し解いてテンジャンクッ沸かせば格別味です。 (中略)それからに苦菜ナムルとかこれは酢コチュジャンにあえて姫韮にセリ混ぜて漬物(チャンアチ)作ってそうでなければくれといってきて肉入れてテンジャンチゲをしても良いです。1935年3月12日付<東亜日報>にのせられた文だ。記事の題名は‘料理の味が教える食卓に入り込んだ春!’だ。この記事がのせられた<東亜日報>には著者が出ていない。 だが、日帝強制占領期間に朝鮮食饌研究所という所を運営した男性知識人洪善杓が1940年6月に出版した《朝鮮料理学》にこの記事と似た内容が出てくる。 だから例の記事は洪善杓の作品であることに間違いない。
甘い薺菜で春を迎える
薺菜は晩秋から3月まで手に入れることができる。 朝鮮初期学者である徐居正(徐居正、1420~1488)は《四佳集》という文集に次のような詩で初春に薺菜芽が上がってくる姿を口ずさんだ。
雪解けた野原生え際に薺菜芽が芽生えるので、道端で野草を掘る女性が喚き出すよ。 米売りにでかけたお父さんはいつ帰ってきますか、真昼になっても中空歌をできないだろうね。そうだ。 1400年代や植民地時期や1950年代にも薺菜が咲く初春になれば秋にかき集めた穀物が残っていなくて人々は絶食の日が多かった。 それで老少を問わず女性は野原に出て行って野草を採った。 苦菜や蓬や姫韮や薺菜を掘ってお腹を満たす量で。 春に掘る野草は苦味が出てそれほどおいしくない。 だが、薺菜は違った。 今からほとんど800年前の人である李奎報(李奎報、1168~1241)は“甘い薺菜が自然に芽が萌え出て繁盛するので、当然スープを煮れば私の食欲にも似合うよ”(《東國李相國後集》第3冊)と口ずさんだ。 前で紹介した徐居正も《四佳集》で“薺菜 ナムルでスープを沸かせば味が甘いよ”といった。 甘い味がよい薺菜は早春に掘ることが一番良い。 薺菜はスープを煮れば脂である肉を入れなくても甘い味を抱いて出した。
古人はネンイッククを漢字で薺湯だと書いた。1924年李用基(李用基、1870 ̃1933年頃)が出した《朝鮮無双新式料理製法》でもネンイッククを‘薺湯’といった者で書いた。だが、李用基はネンイッククを別で好きでなかったようだ。 “薺菜が別に味が思わしくなくてやや甘い味で食べるか、または土醤を濾して入れて肉やたくさん入れて煮て食べるかだ”としたという話だ。 おそらく李用基がネンイッククを嫌いな理由はそのやや甘い味のためだったようだ。 それで土醤を濾して入れてきれいなスープを作って薺菜を入れて煮ればまずいから、肉をたくさん入れろといった。 この文の最初で洪善杓が提案したオキシジミを入れる方法もこれと一脈相通じる。
李用基は同じ本で洪善杓が春が入り込む料理で提案した‘タルレジャンアチ’調理法も書いておいた。 “姫韮の根元と着手するものの順を少し残して取って洗った後水が乾いたら鍋に油をぶっかけて姫韮を入れて炒める。 油が姫韮とよく混ぜ合わせて姫韮の光が澄んだら砂糖には濃い醤油とゴマ塩と粉唐辛子には混ぜ合わせ食べればおいしいのだ”とした。 だが、常に食べるのは“出るものと濃い醤油に入れて高名で墨出るのだ”と書いた。前のものは長く置いて食べてもかまわないから‘漬物(チャンアチ)’と名前を付けたが、後のことは簡単に料理するので別に名前を付けなかった。姫韮の和えものに上げられる調理法だ。
檀君誕生の秘密、姫韮
姫韮は韓半島で生きた人々が非常に永らく食べてきた食材料だ。韓国人ならば大部分が一然(一然、1206 ̃1289)が書いた《三国遺事》に出てくる檀君の誕生の話を知っているだろう。
シンウンが神霊らしい蓬一袋と大蒜20個を与えて達することを君たちがこれを食べて百日間日光を見なければまもなく人になるといった。 熊と虎がこれを受けて食べて気を付けることを21日ぶりに熊は女の体になったが虎は用心できなくて人になることができなかった。しかし朝鮮時代初期に刊行された《三国遺事》の原文には蓬と大蒜の代わりに艾と蒜が登場する。 艾は当然蓬だが蒜は決して大蒜でない。 なぜなら大蒜は中国漢代の人張騫が西域との交易路を切り開いた以後に中央アジアから中国大陸に流入した食材料であるためだ。 以前には姫韮で辛味を出した。 漢字では蒜と書いたが中央アジアから入ったものは形がはるかに大きかったために大蒜と書いた。 さらに野山で採取するので野蒜とも書いた。
許浚(許浚、1539 ̃1615)は《東医宝鑑》でテサンは大蒜、野蒜は‘달랑괴’と呼ぶとハングルで書いた。この달랑괴が正に姫韮だ。もし檀君が実在人物だと仮定するならば春に私は蓬と姫韮だけを食べて熊が女になって檀君を産んだと見てこそ正しい。
このように薺菜と姫韮は長い冬が過ぎて春が到着することを教える食材料だ。 食卓に入り込む春だったし熊の人柄と檀君の誕生を導くこともした。 さらにこれら食材料は食欲がない時やしっかりした食べ物がない時食欲をそそるようにした。 今晩に新しさと満たす、そして誕生を考えてネンイッククとタルレジャンアチで食卓を輝かせればどうか。
http://mediask.co.kr/1550
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