[食品人文学]四六時中保養食、ユッケジャン!
2014/07/24
日帝強制占領期に‘大邱湯飯’という料理があった。名前だけみれば大邱人が好んで食べるクッパという意味だ。ところで当時ソウルでも結構人気を呼んだようだ。ソウルいろいろな所に大邱湯飯家があったという話だ。果たして大邱湯飯はどんな料理であったか?<別乾坤> 1929年12月1日付‘大邱の自慢大邱湯飯’という文が解答を与える。
“大邱湯飯の実名はユッケジャンだ。概して犬肉をした珍味で、補身之材が好きなことが一部朝鮮の人の通性だが特に南道地方の田舎では‘姻戚両班が来られれば犬を捕える’で、狗醤がなかなか大きい接待でない。この狗醤は嗜好性と犬肉を食べることができない人々の事情まで探り、または、このごろますます犬が珍しくなる兆しをのぞいて生じたのが、即ちユッケジャンとか簡単に言ってみれば牛肉を狗醤のように作ったものなのに仕様は大きく発展をして本土である大邱からソウルまで進出した。”上の主張が事実ならば、大邱湯飯は本来ユッケジャンを呼ぶ別名であっただろう。
牛肉狗醤、お客さんのための配慮
ケジャンは漢字で狗醤だ。犬肉をスープに解いて作ったためだ。現代の人々はポシンタンとかサチョルタンと呼ぶが本来名前は‘狗醤’だ。少なくとも1970年代以前までだけでも真夏三伏の暑さが固め打ちすれば全国どこでも狗醤を食べる習慣があった。
英・正祖時代に生きた柳得恭(柳得恭、1749~1807)はソウル風俗を書いた<京都雑志>で“狗醤を食べて汗を出すと暑さをはね除けて虚汗気勢を補充することができる”とした。だが、誰でも狗醤を好んで食べたのではない。朝鮮の人士のうち狗醤を食べる習慣を置いて不適当に思った人もいた。 英祖時の入れ墨であり慶尚道暗行御史で名をはせた李宗城(李宗城、1692~1759)は狗醤は人が食べる料理でないと考えた。三伏の暑さに李宗城のように狗醤を嫌うお客さんが家にくれば主婦は牛肉で狗醤を沸かすほかはなかった。
朝鮮時代の犬肉調理法は主に蒸すことだった。<京都雑誌>では“犬肉をネギの根元である蔥白と混ぜてゆっくり蒸す。鶏肉や竹の子を入れれば味がより一層良い。これを‘ク醤’だと呼ぶ”とした。ただし“こぶ局を煮て粉唐辛子をばらまいて白い米の飯を巻いて食べたりもする”ともしたので、18~19世紀狗醤の調理法は二種類だったということがわかる。“醤を解いて水をたくさん注いで沸かして切って入れた肉片が煮込んで解けるように沸かす。 葉を切らなかったネギをそのまま入れて油をさして胡椒を入れる。”
ユッケジャン調理法は1800年代末に書かれたとされる<閨壼要覧>で初めて登場した。先立って紹介した<別乾坤>の大邱湯飯作る方法と基本が同じだ。ただし胡椒の代わりに粉唐辛子を使ったのが違うだけだ。
それでも朝鮮末期に牛肉で作ったユッケジャンが狗醤よりさらに流行したのではない。朝鮮時代ずっと厳格に守られた牛禁政策は牛肉を食材料で思う存分使うように放置していなかった。当然ユッケジャンは狗醤よりはるかに高級料理だった。 甲午更張以後新しい政策が導入されて牛肉を合法的に食べることができるようになって、狗醤を嫌った人々ははじめてユッケジャンを簡単に食べることができるようになった。
ユッ‘狗(개)’醤を注文したがユッ‘ケ(계)’醤が出てきた?
1920年代以後ユッケジャンは当時出版された料理本に漏れなく紹介された。<東亜日報> 1939年7月8日付‘今晩にはこのようなおかずを’というコーナーでもユッケジャンを紹介したほどだ。
1930年代ユッケジャンは東京や大阪に進出した朝鮮飲食店でもプルコギとともにユッケジャンを売った程に独立的な人気メニュー隊列に名前を上げることになった。時間が流れてユッケジャンは狗醤とは全く違う料理になり始めた。狗醤が三伏の暑さに食べるなら、ユッケジャンは真冬の厳しい寒さに食べる料理になったのだ。<別乾坤>大邱湯飯記事の著者・車相瓚は“汁を先に飲んで、太いネギがふわりとふわりと浮かび上がって油がぽたぽた浮かび上がる高温スープに加え、ゴンの肉を手で適当に焼いた、ククスでもなくクッパでもない、舌が火傷をする程熱くて海苔がふわふわと浮び上がる真っ赤なスープに向き合って座ればまず唾をごくっと飲み込んで、いくら真冬の厳しい寒さに凍った顔でも自ずから解けて全身が溶けてうずうずする”とした。
1950年代以後狗醤販売禁止で真冬の厳しい寒さに食べたユッケジャンが三伏の暑さには狗醤に代わり始めた。この過程でユッケジャンは‘四六時中’いつも食べる韓国料理店の‘代表的なクッパ’になった。さらに料理研究者は鶏肉を利用して‘鶏醤’という料理も作り出した。このために食堂ではユッケジャンを売りながらも‘ユッケ(계)ジャン’と書いたりもする。
今日大邱人はユッケジャンよりは‘タロクッパ’をより好きだ。日帝強制占領期、大邱ユッケジャンと朝鮮戦争以後作られたタロクッパは外見は似ているように見えても別の料理だ。タロクッパは牛の赤身の肉を手で裂いて作らない。かえって慶尚道の人々が好んで食べる牛肉クッパにさらに近い。
明確にユッケジャンは狗醤から変移した料理だ。だが、狗醤は20世紀ずっと法的に、人間的にあらゆる虐待を受けて良くない料理の代名詞として残った。これに比べてユッケジャンは自身の誕生秘密を名前の中にそのまま大事に保管してもネギをふわりとふわりと抱いたまま、どんな虐待も受けないで今まで続いている。
http://mediask.co.kr/1755
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