[食品人文学]ひき臼で咲いた夏珍味、コングクス
2014/06/12
日帝強制占領期に非常に珍しかった女性記者の1人である<東亜日報>崔義順(崔義順、1904~1969)は1933年6月11日付新聞に次のような文を書いた。
焼けるような日差しに汗流して訪れてくるお客さんのためにこの季節に何か特別な料理があるだろうか。豆を煮て取り替えつつ豆乳を作って小麦をこねて麺を作って氷入れて豆乳ククスでも作って差し上げなくちゃ。
真夏ククスコンビの活躍
1924年に李用基が出した《朝鮮新式無双料理製法》でその調理法が出てくる。だが、料理の名前は決してコングクスではない。そのまま‘豆乳콩국’と書いた。“豆乳は太い豆をゆでてひき臼で挽いて纏帶で絞って氷一個浮かして食べれば味が香ばしくてすがすがしいのだ”とした。ククスが入らなかった豆乳だ。
ところが、李用基はあたかも豆乳と練り胡麻が一兄弟でもなるように豆乳の次に引き続き練り胡麻を作る方法を書き留めた。このような事情は19世紀末あるいは20世紀初期に使われたと推定される《是議全書・飲食方文》にもそのまま現れる。さらにこの本では‘練り胡麻ククス’、‘豆乳ククス’といって最初から豆乳でも練り胡麻でもなくて、ククスに傍点を置いた。
“練り胡麻を炒める方法は練り胡麻を水に混ぜて擦ってふるいで濾して塩乗って味付けをして小麦粉麺のほか上に野菜と鞭打ったことのせることはウッポプと同じなのだ。” ここで‘ウッポプ’は練り胡麻ククスの前に出てきた小麦粉麺調理法を示す。小麦粉麺はカボチャを鞭打って炒めて卵を薄く送ってイワタケと唐辛子も鞭打って高名にのせた。だから‘練り胡麻ククス’もこのようにしたようだ。 それからが豆乳ククスだ。“豆乳は豆を漬けてふやかしてさっと湯がいていくふるいで濾して塩乗って味付けをして小麦粉麺のほかトッピングで練り胡麻と一緒にして凍ったので”とした。前で調べた強制占領期にコングクス作る方法と違い氷も入らなかった。事実当時だけでも練り胡麻ククスが豆乳ククスより高級だった。なぜならゴマが豆に比べて高かったためだ。 だが、李用基は豆乳を練り胡麻の前に書いてその順序を変えた。1931年<東亜日報>記事でもそうした。それだけ1920年代以後豆乳ククスが練り胡麻ククスよりも大衆的であったのを傍証してくれる。ここに氷まで入るので氷コングクスが1920年代にはじめて完成されたわけだ。
焼け付く喉の渇きには冷たいコングクス
朝鮮時代、氷は冬に川で凍ったのを採取して各地域の石氷庫に保存しておかなければならない夏に食べることができる貴重な料理だった。 それだけ尊かったために王室と地方官衙で直接石氷庫を管理した。 1894年甲午改革が断行されて礼曹で引き受けた石氷庫管理業務は廃止された。 すると同年陰暦12月31日に李昶という人が円満会社をたてて既存の石氷庫業務を事業化した。
1913年ソウルには京城天然氷会社と朝鮮天然氷会社が設立された。‘天然氷’という名前でも分かるように二つの会社では人材と機械を使って冬に漢江で氷を掘って保管して夏に販売した。1920年代二つの会社が冬に採取した氷は天気により変化があったりしたが約2万トンから4万トンに達した。だから1920年代以後ソウルの人はこの氷を利用してコングクスを冷たく食べることができた。<毎日新報> 1930年8月24日付に黄海道延白に住む張奎英という人が‘豆乳と小麦粉麺’という文を投稿した。“小麦粉麺を直接作って冷水に2回ほど洗った次に豆を釜で茹でてひき臼で挽いた後冷水と合わせて細かい篩にかけた後小麦粉麺を浸して食べること”といった。この冷水やはり真夏に氷を買って作ったのだ。田舎の人がどれくらい珍しかったら新聞に投稿までしただろうか。
白い汁に真っ赤なトマト
コングクスにトマトが入った時はこれよりしばらく後である1970年代初期からだ。トマトは夏に収穫する野菜としてちょうど当時に国内でトマト栽培が活発になったしトマトの利用法が広く紹介されて、キュウリとともにトマトはコングクスになくてはならない高名になった。ここに政府が広げた混粉食奨励運動おかげで工場で生産した小麦粉麺が安値に供給された。
1974年から家庭用電気ミキサーが普及した点もコングクス流行の歴史で抜かすことはできない事件だった。ひき臼で挽いて細かい篩や布巾で濾して豆乳を作った方式と違い電気ミキサーはあっという間に豆乳を作り出した。便利さと共に電気ミキサーはとても細かくすり砕いてあえて滓を取り除く必要もなくしてくれた。 便利性と濃い味が真夏になると人々の食欲をそそった。豆乳に小麦粉麺を入れてかき氷機で細かくすり砕いた氷を山盛りにしたコングクスは中国食堂や粉食店や韓国料理区別なく真っ赤な垂れ幕を掲げて人々を誘惑した。だが忘れてはいけない事実もある。
コングクスの流行時点に合わせて韓国人は自ら栽培した豆でない異国で育った豆で作った豆乳を食べ始めた。それでもコングクスを恨んではいけない。檀君以来最も豊かに米飯を食べることになって豆畑を追い出したのにその原因があるためだから。
http://mediask.co.kr/1681
0 件のコメント:
コメントを投稿