2016年12月6日火曜日

[ジュヨウンハの食べ物100年](1)最も古い外食業、クッパ家

ジュヨウンハ韓国学中央研究院、韓国学大学院教授
入力:2011.03.08 20:30:44 修正:2011.03.18 17:08:33

・百日咳吹きながら一杯さっと空腹庶民の「満腹一食」

私達が食べる料理は生きてきた履歴が含まれています。開花期以降、韓国では、外食業の発展に伴い、食品の変形が行われ、今日に至っています。韓国の料理談話を主導してきジュヨウンハ韓国学中央研究院、韓国学大学院教授(民俗学)が前世紀ソウル北村のレストランや料理文化に私たちを案内します。「最も古い外食業、クッパ家」「朝鮮料理屋誕生」「立ち飲み屋の流行」「屋台の料理、餅長寿」など4つのテーマに分けて毎週水曜日30回連載します。

毎日新聞は1898年1月26日に創刊され、韓国初の日刊紙である。1898年12月13日4面に興味がある広告一つが掲載された。「広橋南弁天水月樓で料理も売って丹羽兼ねジャングクバプをよくして陰暦十一月初め毎日はじめ八つの場所で君子は来店していただき召し上がり願いますように。」この広告はその後、12月24日まで毎日掲載される。水月樓は、当時の高度な料理を販売していた飲食店であった。1900年代になると水月樓は浴室と理髪店とカフェが一緒に入ったこの頃の言葉で複合歓楽街で人気を享受する。

実際には居酒屋でも売ったジャングクバプを何事情があったからこそ、高度な飲食店が水月樓で販売したのかについては知る術がない。周知のようにジャングクバプは朝鮮醤油で味付けをして煮込んだ湯(guk)にご飯をのみ食品を指す。当然ジャングクバプの朝鮮醤油を意味する醬である。1890年代に使われたとされるハングル筆写本料理書<是議全書>には、ジャングクバプのレシピが書かれている。

そのレシピを今時の言葉に変えて少なければ、次の通りである。「良いうるち米をきれいに洗ってご飯をよく作って湯は大根を入れてよく煮る。湯を巻くときは、パラパラにではなく、その上にナムルを備え乗せる。薬散炙も作って上にのせ胡椒と唐辛子を振りかける。」湯を沸騰させるとき、肉を入れていることは、この調理法だけでは知ることができない。ただし大根の主材料と醤油で味を合わせた湯のうるち米に炊いたご飯を巻いて、その上にナムルと一緒に牛肉を築いていろいろな薬味をした後に、醤油に煮つめた薬散炙も上げたので、間島ばっちりながらご飯と肉を歯ごたえが一品であったと思われる。

<是議全書>という本は1919年沈晥鎭という人が慶尚北道尚州軍需に赴任して、そこで両班家に所蔵されていた調理書借りて必死にしておいたものであった。後、彼の嫁洪貞(洪貞、1903〜55)夫人に伝わり、それが故人となった食品学者李盛雨教授に伝達され、1970年代になって初めて世の中に知られている。だからといってこの本が慶尚北道尚州の半額料理を紹介していると思うと誤解だ。それよりは、王室やソウルの金持ちたちが好んでて食べた料理をメモしたものでなければなら正しい。

この本に出てくるジャングクバプも18世紀以来、ソウルの北村と清渓川周辺で人気を享受した食品である。広告の文脈を見ると、水月樓では、元のジャングクバプを料理と一緒に出した形である。その味が良いとゲストが賞賛をしましょう一品料理で販売し始めたようだ。18世紀の中頃になると、朝鮮社会では、商業活動が活発に行われた。あちこちに5日ごとに開かれる場市が入る始めた。特にソウル鍾路近くには王室で必要とする物品を専門的に供給する六矣廛があった。その前に比べて人がソウルに多く集まり、それらのためのレストランが今の鍾路と北村一帯でドアを開けざるを得なかった。

当時牛の血をお湯に入れて凝固させた預言で汁を作って販売するレストランが鍾路ピマッコルの近くにあった。これが今日のソンジトグク(注:牛血スープのこと)である。朝鮮時代成均館は今の大学と似ていたが、孔子をはじめとする性理学聖賢たちの位牌を祀って、季節ごとに祭祀を上げた点が異なっていた。ここで供物に使用する牛や豚をとる人を泮人と呼んだ。これらは祭祀を過ごし、残りの牛の血のにじむ内蔵を食堂の主人に売り、彼らはこれを鋳鉄釜で煮込んで各種クッパを作って売った。

湯飯と同様の食品に溫飯もある。平安道の人々は鶏肉やキジ肉で作った熱いスープをご飯に注ぎ、食べる料理を溫飯と呼んだ。当然のことながら鶏肉やキジ肉の赤身がご飯の上に上がる。故金大中大統領が平壌を訪問した際、平壌溫飯が紹介されて、ソウルで一時流行した。この溫飯も分かってみれば平安道地域のクッパである。そういえば今時韓国のどの都市に行ってもクッパを販売しているレストランは、目を閉じても見つけるのに十分多い。特に高速道路のサービスエリアのレストランで最も人気のあるメニューもクッパ系統の料理である。

なぜ韓国人はこのようにクッパを楽しんで食べてくるのだろうか?今から約120年前に撮影した写真の一枚(右)で、その正解を探してみよう。礼服を着て頭に笠をかぶった男がスプーンを持ってご飯を食べるている。食卓に置かれた料理を見るとご飯もあり、湯もありおかずも、いくつかの置かれた。ちょうど写真を撮りながら、有機で作られたスプーンにご飯を入れてちょうど食べようする。


たとえどんなおかずが上がったれる写真だけでは分からないが、八つのボウルの中で茶碗と汁椀が最も大きいのは明らかである。通常鉢と呼ばれる茶碗は高さがほぼ9㎝、口の直径がほぼ13㎝に達する。ここでご飯を入れれば今の韓国人がほぼ三度の飯にかけて食べることができるご飯が盛られるようだ。ボウルよりも大きいことが汁椀である。高さは茶碗と似てほぼ9㎝に近い。口の直径は15㎝を超えるようだ。それこそ、今とは比較にならない量が盛られたものとされる大きな茶碗と大きな汁椀である。

朝鮮時代の人々はご飯をたくさん食べることで有名だった。「韓国の人々が多食に励むことは、天下の一番である。最近漂流されて琉球(琉球、現在の沖縄)に行った者がいたが、その国の民があなたがたの風俗は、常に大きな鉢と鉄スプーンでご飯をすくってさんざん食べたので、どうして貧困ではないかと笑ったという。 」この文は朝鮮後期大学者の李瀷(李瀷、1681〜1763)が書いたものである。李瀷はこれを置いて食べる少なくなければならないと主張し、中国の古典に出てくるフレーズである「食少」を掲げ広げた。

ご飯をたくさん食べるためには、ひたすら稲作に命をかけなければならいた。そうしたらお金になる他の生産物を生み出すために疎かだった。だから、琉球国の人々が朝鮮人を置いて貧しいと笑った。なぜご飯食べに命をかけたのだろうか?複数の理由があっただろうが、私は留学の祖先祭祀と深い関連があると思う。生前に召し上がったそのまま祭壇をセットする格式は中国の朱憙(朱憙、1130〜1200)が編纂したと知られている<家禮>でも強調したものである。宋代中国の漢族は、穀物を炊いた飯と一緒に小麦粉で作られた麵を主に楽しんで食べた。当然朱憙の<家禮>も祖先祭祀に上げる重要な供物の中で主に飯と湯と麺を挙げた。しかし、問題は、韓半島では、小麦農業がうまくいかなかったことにある。小麦は夏の気候が20度以上になるとよく育たない。品種改良をしていなかった19世紀以前まで韓半島の中南部地域では、小麦農業が容易にされなかった。結局、ご飯の材料の中で米に集中農業が行われた。

ここで「タングク」という奇妙な名前で呼ばれる祭壇の汁が別の貢献をした。いくらメ(ご飯)と、他の供物が多いといってもタングクがなければ、祭祀を運ぶことができなかった。このような観念のために朝鮮時代の人々は、食事をするときご飯とスープを一番に置いた。さらに、おかずこそ、チャンジやキムチやナムル程度しかなかった境遇なので、ご飯とスープを一緒に食べると瞬時に腹を簡単に呼ぶことができる。夜遅くに忌祭祀を仕えウムボクをするとき、突然増えた食事の人員の欲求を満たしてくれるのにビビンバと一緒にクッパは最適であった。

クッパのような属性に貧しい人々の食事を解決してくれるときは、必ずこの料理が使われた。日帝時代にもあった救世軍慈善鍋で集めたお金で貧しい人々に湯飯を提供したという新聞記事(東亜日報1928年12月22日)がある理由もこのためだ。1920年代、全国の近代都市では、漢字で湯飯店と呼ばれたクッパ店の人が多く通う路地ごとに席を占めた。大邱ではユッケジャンの元祖である大邱湯飯、開城はマントウとマンヅトグク、全州ではもやし入り解酲スープに酒粕酒を一緒に飲むタックバックグク、冬のみ営業をしていたソウルの鰍魚湯、ソウルの古い湯飯であるソルロンタンなどを販売した。特に、1920年代には全国の邑面所在地に常設市場と五日場が置かれた。五日場に行って食べるクッパは場日と同様に魅力的だった。だから「市場クッパ」という料理名も生まれた。

朝鮮後期の貧しい境遇でも、日帝時代の植民地状況でも、戦争中でも、真っ最中の経済開発の最前線に立って苦労して労働をしながら住んでいた1960〜70年代やクッパは人々に腹をかっと出てくるように作ってくれた料理であった。ここでマッコリや焼酎を一杯添え一日中労働で疲れた体を少しでも快適にしてくれた。だからクッパは、韓半島で最も古い外食メニューであり、今もなお人気を享受してメニューだ。

ジュヨウンハ教授
西江史学科を卒業し、中国中央民族大学大学院で文化人類学の博士号を受けた。韓国学中央研究院韓国学大学院教授として在職中<料理戦争文化戦争> <中国、中国人、中国料理> <絵の中の料理、食品中の歴史>などの著書を出した。

http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201103082030445&code=960100&s_code=ac094          

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