2016年12月21日水曜日

[食品人文学]保養の季節に食べる一品料理、ウナギ

2014/08/07

夏にはからだが削られるといって犬肉スープをたくさん飲むのに言ってみればからだを奉じようということではないのか。牛のスープも良く鶏肉も良いです。しかしウナギもなかなか良いことではないです。 消化不良がならないほど脂肪分を摂取する必要は確かにあるのです。ウナギは川の水と海水が合わさる近所で捉えたのを一番にあげることであるから川で捉えたのは黒くて海ウナギは赤色が少しあるのに川と海の間で捉えたのはうすい緑色がちょっと出ます。水溜りや小川で捕えたのは味がとてもガールになり、質素な味が減ります。
(中略)
ウナギは焼くのが一番おいしいが焼く方法にしたがってとても変わります。どじょうもウナギとともに夏魚では誰でも好きなのにその成分を比較してみればウナギは油が多くてどじょうは蛋白質が多いです。

 

長い夏、長い魚‘長魚’でからだ保身
 
この文は<毎日新報> 1939年7月28日者にのせられた‘栄養分多くてからだ奉じるウナギとどじょう、夏季の保養食で一番’という題名の記事内容だ。昔も今も汗たくさん流す真夏の暑さに食欲を増進させてからだを良くするためには保養食だけではなかったようだ。 上の文でも言及したように強制占領期にも犬肉のスープが最もありふれている保養食であったし、それからが牛のスープや鶏肉であった。だが、ウナギ焼きは特別な保養食だとこのように長く説明したのだ。しかしウナギ値が安くなくて、庶民はありふれているどじょうで保養をしろと薦めることさえした。
 
上の記事で話すウナギは淡水ウナギだ。ウナギの漢字は長魚だ。その長さが長くてこのような名前がついた。 朝鮮時代の人々は淡水ウナギでなくとも海ウナギも好きだった。 天主教を信じたという理由で今の全羅南道黒山島に島流しにされた丁若銓(丁若銓、1758 ~1816)は《茲山魚譜》で‘海鰻鱺’に対して“大きい奴は長さが十余字、形は蛇と同じだが大きさは短くて色は黒い。そもそも魚は水から出れば走ることができないか,この魚だけは唯一よく走る。 (中略)海鰻鱺には海大鱺,犬牙鱺,海細鱺の三種類がある”と書いた。
 
海大鱺は他の言葉で弸張魚,日本語では‘穴子、あなご’という。海大鱺を味わった丁若銓は“目が大きくて腹内が墨色でおいしい”とした。犬牙鱺は今の言葉でハモだ。丁若銓が“着た豚のように長い歯は犬のようで不均一ではない”とするほど歯が出るのが犬と似ていてこのような漢字語名前がついたわけだ。海細鱺は今人々が‘大ヒラメ’と呼ぶことなのに“長さは一字程度でからだは行って増えるの指のようで頭は指先と同じだ。 フォーを作れば良い”と紹介したことから見て名前についた‘細’は細い‘細’の字のようだ。
 
ウナギの国境ない無限変身
 
朝鮮時代の人々は海ウナギが蛇に似て好んで食べなかった。そうするうちに大韓帝国期に朝鮮沿岸にきて魚を調査した日本人が書いた資料では“朝鮮の南海岸と西海岸随所に海うなぎがたくさん棲息しても朝鮮人は捕えない”とした。“ひょっとして捕えても蛇に似ることを敬遠して日本人に渡した”と書いた。

丁若銓は“たとえ好んで食べなかったけれど味は甘くて下痢をする人に良くて主にお粥を沸かして食べた”とした。だから黒山島の人々は海ウナギを料理でなく薬と感じたのだ。朝鮮末期王の動静と国政を記録した日記である《日省録》ではこういう話が出てくる。

 

各地方で孝子(ヒョジャ)に指定してほしいと正祖に推薦した人物のうちには漢陽西部に住む黄沁がいた。彼の両親はキノコスープを誤って食べて中毒になって生死の境をさまよった。 特にお母さんの症状が深刻だった。色々な方法を使っても車道がないと議員を訪ねて行った。その議員は鰻魚を使えば利き目があると話したが当時は冬だと川に氷が凍って捕ることはできなかった。 幸いなことに近所の人から求めて召し上がるようにした。

 

日本人はウナギを‘うなぎ’と呼ぶ。特に海で淡水に上がってきたウナギを串にさして焼いたのが好きだった。最初から名前も‘うなぎ’を抜いてそのまま‘蒲焼’と呼ぶほどであった。
 
1949年10月9日ハングルの日を迎えてハングル学会ハングル専用促進会では倭色看板を直さなければならないと言いながら‘蒲焼’を‘ウナギ焼き’で提案した。それだけ植民地期にこの料理が朝鮮人の食欲をひきつけたようだ。
 
日本醤油の代表格であるキッコーマンの前身である野田醤油が18世紀に流行して‘うなぎ’料理に醤油をはじめとして色々な調味料が入った。20世紀になって弁当にご飯を入れてその上にうなぎ料理をのせた‘うな丼’が開発された。塩焼きである‘塩焼’とともに日本ウナギ料理の三種類の調理法が20世紀初期に完成された。
 
率直に話してこのごろ韓国社会で流行するウナギ焼きやヌタウナギ焼きとか、アナゴ焼きは全部植民地期日本人から習った食品、植民期後期の混種料理であるわけだ。

http://mediask.co.kr/1771

0 件のコメント:

コメントを投稿