[28]塩辛
バクジョンベ料理コラムニスト・「食べ物江山」著者
入力:2015.09.16 03:00 | 修正:2015.09.16 09:09
ご飯を主食とする韓国人にタンパク質と塩分を同時に提供する塩辛は食卓の「主演級助演」である。19世紀以前までの塩辛は、王族や両班たちが食べていた貴重な食材であった。三国史記(1145年)神文王8年(683年)の記録には、王家の結納品目に醢が出てくる。幣帛料理に含まれるほど塩辛が貴重なもてなしを受けたことを知ることができる。
塩辛の最も古い記録が出てきたのは慶州雁鴨池だ。雁鴨池には太子の台所である庖典があった。ここで、7世紀から10世紀にかけて制作された木簡が発掘され、ここで塩辛の吏読である「助史(젓)」はもちろん、塩辛を意味する漢字語である「醢」「鮓」「醘」が出てくる。今ではシーフードを使った塩辛が主流を成すが、当時は鹿、ウサギ、キジなど陸獣と鳥類もたくさん使用した。
塩辛はそのまま食べてもおいしいが、キムチに入ってその真価を発揮する。キムチは、19世紀以降、唐辛子粉と塩辛が一緒に使用され、韓民族固有の食べ物となった。朝鮮中期の文臣金正國(1485〜1541)の思齋集に「バク・セピョンの姨子に紫蝦ジョト(アミの塩辛)とキュウリで交沈菹を作って送ってと言った」「このキムチははなはだ滋味がありますので、ボールは必ず感動するでしょう」と言った詩は、キムチに塩辛を使った最初の記録である。今塩辛に多く使用されるエビが朝鮮中期から愛用されたこと知ることができる部分である。
「ドンジョル(冬節・冬)を控えて、黄海道沿岸から摩耗川に塩辛を載せた塩辛船が数えきれないほど入ってきている。最近の入ってくるのは毎日平均4000隻ほど」(1947年9月10日京郷新聞)という記事から分かるようにアミの塩辛は、ソウルの人々のキムチの漬け込みに最も重要な塩辛だった。
ソウルの金持ちは秋になると、水アミの塩辛とゲジョト、カレイ漕ぐ、ピウッジョト、ソラジョトを食べた(1957年11月14日京郷新聞)。塩辛一点にご飯スプーンがあれば夏中失った食欲を元に戻すのに不足はない。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/09/16/2015091600072.html
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