[29]カルビチム
バクジョンベ料理コラムニスト・「食べ物江山」著者
入力:2015.09.22 03:00
牛カルビは、日帝強佔期から「秋夕や正初に牛カルビやこぶ物品をたくさん持って来る者には多少の小作権を」(1929年1月29日付東亜日報)与えるほど大事な贈り物であった。増補山林経済(1765年)に掲載された「牛脇蒸方(牛脇蒸方・カルビチム)」の調理法以降もカルビチムは朝鮮後期調理書に着実に登場する。特に王家の飲食件記(食べ物を記した文章、饌品單子)にカルビチムは欠かせない大事な食べ物であった。
1920年代半ば、平壌にはカルビ焼き専門店が出来たしソウル電動食堂では、「ナムユダルがカルビチム、ダルチムのようなものを下野複数のゲストを集めてドンプンも良く儲かるといううわさが」(1929年2月1日別乾坤)出るほど外食にも人気を得ることになる。解放空間(1945〜1950年)時期にソウルの高級焼肉店では、カルビチムをすき焼き、焼肉と一緒に販売した。(1948年10月22日付大同新聞)
カルビ料理が結構大衆化する1950年代には、秋夕食べ物でカルビチムが登場する。(1957年9月7日、東亜日報)1960年、ソウルで開かれた韓米高位会談にカルビチムは焼肉と一緒に韓国を代表する食べ物で紹介されている。1960年代になると「カルビチムは豊かではない暮らしでは難しいことだと思うだろうが、一年に一回ぐらいに分けてみるかもしれない」(1962年9月12日東亜日報)秋夕食品として紹介される。60年代半ばに移り、秋夕の頃であればカルビチムの牛カルビは2〜3日前に予約をしてこそ、やっと買うことができ(1966年9月28日毎日経済)、正初であれば肉屋で品薄状態になるほど(1967年1月5日毎日経済)大きな人気を得ることになる。
1975年GNPが531ドルを突破し、肉の消費量が急増すると、1976年9月、外国産牛肉が初めて輸入されたし、カルビチムは本格的に普及していく。1960年代末、大邱東仁洞では、唐辛子とニンニクを入れた蒸しカルビが、慶南咸陽郡安義面では、コチュジャンを入れたカルビチムが生まれる。1980〜1990年代を経てカルビは、全国的な外食としての地位を確立する。がたがたして柔らかいカルビチムを食べて人々は秋夕の豊かさを実感した。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/09/22/2015092200157.html
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