[バクジョンベの韓国料理の誕生]愛の遊びまで調えた最初の料理屋、惠泉舘
食べ物コラムニスト・「食べ物江山」著者バクジョンベ
入力:2014.08.27 00:25
[5]朝鮮料理屋
1920年10月19日の毎日新報に掲載された海東舘開業広告<写真>は、これまで不明だった国内初の「朝鮮料理屋」がどこだったのかを明らかにする記録である。長い間、最初の朝鮮料理屋は1903年に開業した明月舘として知られてきた。しかし、筆者が発掘した毎日新報海東舘開業広告の内容を見ると、惠泉舘が登場するが、「(広告が掲載された1920年から)29年前(1891年)に開業した朝鮮内唯一無二の料理店」という表現が出てくる。これ正しければ惠泉舘は明月館より12年前に開業したので、国内初の朝鮮料理屋は明月館ではなく、惠泉舘になる。料理屋は料理店、料理屋と呼ばれることもあった。
正確な開業年代は知られていなかったが、明月館より20余年前に営業していた水月樓というところがあったし、ここを最初の料理屋と見る人もいる。しかし、水月樓は、高度な料理に加えジャングクバプも売って散髪もできた一種の多目的空間であった。1936年1月16日の毎日新報によると、「(惠泉舘は)従来の水月樓とは全然性質が異なり、現在料理店のような妓生を呼んで遊んで女興団もあり、または公共の宴会とか嬌姿(床)で料理を配達して、上流階級では愛の遊びまで調えた」本格料理屋だった。
惠泉舘と明月館は、1920年代以前まで、朝鮮料理屋界の双璧だった。惠泉舘の所有者尹啓煥と明月館の主人安淳煥が1914年に組織された「料理店組合」の顧問を務めるほどだった。しかし、1918年惠泉舘は奉春館に移って再び海東舘を経営していた東洋興産株式会社に売却される。東洋興産は当代のモダンボーイであり、青年ベンチャー事業家であるバク・ジョンレ、キム・ドンウン、ミン・ビョンジョが立てた会社だった。この会社は、海東舘と長春館、洗心館などのいくつかの料理屋の運営はもちろん、料理屋の妓生を供給する大同券番にも関与するほど(1921年3月23日の毎日新報)に社勢が大きかった。しかし、東洋興産の成功は長続きせず数年後にドアを閉める。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/07/02/2015070202069.html
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