2017年1月19日木曜日

[バクジョンベの韓国料理の誕生]秋が旬の酒... 農酒・マッコリ・滓酒、様々な名前で呼ばれて
[30]マッコリ

入力:2015.10.14 03:11 | 修正:2015.11.11 17:10


マッコリは農酒と呼んだ。つらい農作業にピリッと炭酸成分が溶け込んでいるすっきりしたマッコリは清涼飲料であり、食品であり、お酒だった。収穫新米はマッコリを入れるのに最も良い材料であった。朝鮮文臣李山海は「田家雜詠」という詩で「刈り取りは常にカニ太る秋だ/笠の人はマッコリ(濁醪)で四季を過ごし/農家の楽しみ毎年あって/人の世の中、萬戶候が羨ましくないよ」と記している。製造技術が発達した今日でも温度に敏感なマッコリは秋から冬が適当である酒である。

マッコリ막걸리というハングルが初めて登場する文献は、19世紀初頭に必死された「廣才物譜」に「濁酒」と一緒に出てくる「マクゴルリ막걸니」だ。「靑丘永言」(靑丘永言・1728年)に出てくる「달괸 술 막걸러」を「마구 거른 술」という意味のマッコリ初期語形で見ることが学界の共通した意見である。

マッコリは漢文で醪、醠、醨と書く。欠かさない濁ってドロドロしたお酒という意味の濁醪、白い酒といって白酒、酒度数が低いといって薄酒、酸味を中和させようと灰を入れたせいで灰酒、かすがある酒といって滓酒と呼ばれるなど、さまざまな名称で呼ばれた。

宋の使臣徐兢の「高麗図経」(宣和奉使高麗圖經・1123年)には「高麗人たちはお酒が好きですが、良い酒を求めるのは難しい。庶民の家で飲むことは味がさっぱりして色が濃い」として庶民が濁酒を楽しんだということが分かる。「三国遺事」(三國遺事・1281年)の駕洛國記に首露王が祭祀を行うため醪醴を醸したという記録に見て、三国時代にも濁酒を飲んだことを知ることができる。

マッコリは日帝強佔期の酒税政策と1960〜1970年代の米マッコリ禁止、日本式粒麴を利用したマッコリ製造などの伝統マッコリの根本を揺るがす荒波の中で満身創痍となったが、最近復活の兆しを見せている。

http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2015/10/14/2015101400176.html

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