2017年1月18日水曜日

[バクジョンベの韓国料理の誕生]登場するや否や門前成市... 今や「チキン共和国」開幕

バクジョンベ料理コラムニスト・「食べ物江山」著者
入力:2014.08.20 03:06

[4]電気焼き鶏の丸焼き

1960年、ソウル明洞に電気焼き鶏の丸焼きを売る「栄養センター本店」がオープンした。「チキン共和国大韓民国」の発足信号弾だった。以前まで韓民族は、鶏を蒸したり茹でたりして食べて、焼いたり揚げたりする文化はほとんどなかった。その背景には肉鷄産業がある。肉を得るために鶏を育てる肉鷄産業が1960年に開始し、鶏肉の供給量が増え、電気焼き鶏の丸焼きも登場することになったのだ。

電気焼き鶏の丸焼きは登場するや否や爆発的な人気を得る。「新東亜」1965年9月号は、「電気グリル鶏の丸焼き、よだれから飲み込み、一戸ドアを開けたときに、それこそ立錐の余地もなく、超満員だと他の店に行った。やはり満員だ」という記事は、当時の人気を推測するものである。競合他社が増えると栄養センター本店創業者であるキム・テフンさんが、電気焼き鶏の丸焼きを作る機械を「營養保存調理器(營養保存調理器・写真)」と命名して、1962年に実用新案登録を申請したが却下される。

却下理由は、「在來式數回動(回転)で各種肉を調理していたことを、電気動力を利用して、複雑な構造で組み立てたもので、その効果には在來數回動と差別がないこと」だった。簡単に言うと、手動を自動で作っただけで過去の鶏の丸焼き調理器と差がないということだ。キム・テフンさんは「電気焼き鶏の丸焼きは、以前の調理器とは異なり、電気を利用して自動的に焼いて肉汁が抜けず栄養が完全に保持される」という理由を追加補完して実用新案登録を再申請し、最終的に1963年の栄養保存調理器は「実用新案登録1754号」として登録されている。


電気焼き鶏の丸焼きの全盛期は長続きしなかった。1971年あざらしで食用油を発売し釜で鶏を揚げて食べる「釜鶏の丸焼き」が登場した。方式は、少し異なるが、鶏を揚げて食べる文化は、1950年代からソウルにもあることはあった。当時の中華料理店は、ピクニックや遠足の季節、鶏八切れに小麦粉をつけラードやショートニング(動物性脂肪)で揚げた「サバクガ(八鷄)」を販売した。1984年、米国フライドチキンの本家KFCが韓国に正式進出する。以後「味付けチキン」「醤油チキン」などが相次いで登場して大韓民国外食はチキンを中心に戻ることになった。

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2014/08/20/2014082000101.html

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