[バクジョンベの韓国料理の誕生]春の夕食の食べ物... 綠豆で透明に作って
バクジョンベ料理コラムニスト・「食べ物江山」著者
入力:2015.04.22 03:00
[19]靑泡ムク
靑泡ムク<写真>は春の夕食の食べ物だった。京都雜志(京都雜志・1770年)に「蕩平菜は、緑豆乳(綠豆乳・靑泡ムク)、豚肉、セリ芽を糸のように切って醋醬に漬け込んだもので、非常に涼しくして春の夕食に食べてもいい」と出てくる。靑泡に関する最初の記録は、1737年に発刊された攷事十二集で見つけることができる。この文献を見ると、「靑泡は、緑豆で豆腐のように作る。しかし、袋に入れて押すのではなく木器に入れて凝固させた後に使用する。細く切って醋醬に和えてナムルとする」という作り方が紹介される。
ムクというハングル単語は方言集釋(方言集釋・1788年)に「菜豆腐(チェ豆腐)ムク」と初めて出てくる。菜豆腐というのは野菜で作った豆腐という意味とか、古い豆腐のようなもので見たのだ。19世紀半ばに出版された五洲衍文長箋散稿には、豆がないときは、でんぷん、クズ粉、そば粉、ドングリの粉、ハトムギ粉などを利用した様々な豆腐の作り方が出てくる。以前からあった豆腐の製造法が18世紀以降のムクに使用されたものである。
靑泡ムクは緑豆で作った白い透明な(淸)ゼリーである。ここでクチナシの水で色を出すと透明な黄色が出る黄泡ムクになる。
靑泡ムクや黄泡ムクは味で食べた食べ物だったがドトリムクは3〜5月、春窮期の生存のために食べた救荒食品であり、火田民の主食であった。火田民が生活のために食べていたドトリムクとドンドン酒を山を行き来する人々に売って大衆的な食べ物になった。
緑豆ムクがこの春の夕食の食べ物であったし、ドトリムクが火田民の救荒食品だったりしたが、そばムクは大福と一緒に日帝強佔期から冬の夕食の最高の食べ物だった。1980年代初頭までは「 「そばムク思案」というかわいそうな声で夜は更けていった。」(1971年12月15日京郷新聞)
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/04/22/2015042200192.html
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