[バクジョンベの韓国料理の誕生]夏「ご飯泥棒」、高麗・朝鮮時の高級おかず
バクジョンベ料理コラムニスト・「食べ物江山」著者
入力:2015.06.10 03:00
[22]チャンアチ
チャプジョルムので猛暑で失った味覚を取り戻してくれるチャンアチは初夏が旬の食べ物である。キュウリ、ニンニク、エゴマの葉などこの時期、簡単に入手することができて安価な野菜を活用するおかげで、古くから夏のおかずとして脚光を浴びてきた。「軟らかくて、小さなえごまの葉を洗って水を抜いてガーゼ(ガーゼ)に包んでテンジャンにキェキェと打ち込みしておくと、夏の間は良いおかず」(1968年6月3日京郷新聞)となった。私たちの祖先は、このほかにもどんぐりムクチャンアチ、桔梗チャンアチなどを食べて夏を出た。
チャンアチは、高麗後期の文臣・文人李奎報(李奎報・1168〜1241)が書いた「家圃六詠」という詩にム醤チャンアチ、キュウリのチャンアチとして初めて登場する。最初のハングル表記は、朝鮮時代の中国語学習書「朴通事諺解(朴通事諺解・1517年)」に出てくる「ジャンエトディヒ」である。「醤(ジャン)に漬けたキムチ(ディヒ)」という意味である。
チャンアチが以前には誰でも食べることができる食品ではなかった。高麗末文臣・文人李穡(李穡・1328〜1396)が「牧隱集」から「病中にキュウリのチャンアチが蜜のように尊かった」と書いたほど高麗はもちろん、朝鮮中期まで珍しい食べ物であった。
チャンアチは、醬菹、醬漬、瀆菜、醬果などと多様に呼ばれた。宮中では、チャンアチを主に장과라と呼んだ。醬果は、様々な野菜を太陽の下で乾燥して牛肉と一緒に炒めて調味料と混ぜ合わせた高級料理だった(李朝宮中料理通攷)。
年月が経つにつれ、チャンアチは次第に一般庶民が食べる安価なおかずに変わっていった。材料が不足していた日帝強佔期末期の朝鮮総督府は、「材料を節約してください」とキュウリのチャンアチと茄子のチャンアチを食べるよう奨励した(1942年8月9日の毎日新報)。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/06/10/2015061000043.html
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