2017年1月19日木曜日

[バクジョンベの韓国料理の誕生]北で捕れる生鮮、1970年代から「国民解酲グク」
 [34]北魚グク

バクジョンベ料理コラムニスト・「食べ物江山」著者
入力:2015.12.23 03:00

北魚グクは「寒さを可視にするために良い料理」(1975年発刊「韓国料理」)であり、飲み過ぎた会社員のための最高のスルグクである。明太の最初の記録は、「赴北日記」1645年4月20日に出てくるが、北魚の最初の記録は、80年以上後の1732年5月12日承政院日記に登場する。

北魚はその名の通り、北で捕れる魚という意味。徐有榘が書いた「蘭湖漁牧志(蘭湖漁牧志・1820年)」には「生は明太、乾いたのは北魚」という記録が出てくる。咸鏡道地域で主に食べていた明太を乾燥させて全国に流通し始めた18世紀半ばから「干し明太(乾明太)」を北魚と呼んだことが分かる。ソウルでは、色が黄色になってぽっちゃりした黄太を「沙蔘北魚」または「黄太」と呼んだ。

北魚をスープ料理で食べたのは1924年に李用基が書いた「朝鮮無雙新式料理製法」に登場する北魚チゲが初めてである。この頃北魚グクに近い食べ物は1931年10月3日、東亜日報に登場する三太湯である。「もやしを開いてよく道ガール蛇口取っ正にシスン後油負う精肉を細かく切って、白いネギと胡椒粉を打って味がなじむように混ぜてソックスにノコ服近づい北魚を書き先ノコ豆腐をまっすぐきちんと切ってneは後間素人水を入れて非常にオフコドゥン汲み出して苦難の粉を打って食べます。」

北魚グクが解酲グクに本格的に登場するのは記録上で、1960年代後半である。1960〜70年代には、主に「乾いた北魚をごま油で炒め、塩で味をして食べる北魚汁」(1968年1月22日京郷新聞)に黄色いネギを入れて食べた。

1950年代以降、江原道麟蹄郡龍台里と平昌郡横渓里で作り始めた黄太と北魚が1970年代に大量に生産され、北魚グクは大韓民国の国民解酲ククになる。

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/12/23/2015122300118.html

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