[バクジョンベの韓国料理の誕生]晋州・東莱など慶尚道で開始... 春を告げる「味覚の伝令士」
バクジョンベ料理コラムニスト・「食べ物江山」著者
入力:2016.03.30 03:00
[41]パジョン
春の日差し暖かくなるとセリは青々と、あさつきは丸々太る。先人たちは、この時期の桃の節句(旧暦3月3日)であれば、青い芽を踏むダプチョン(踏靑)をして、春を満喫した。ツツジを花煎にして食べたりもしたし、ネギ、セリでパジョンを焼いて食べた。
脂っこい食べ物がほとんどなかった韓民族に油で野菜や肉を焼いて食べる煎は、脂肪を補うことができる貴重な食べ物であった。煎の記録は、17世紀になってようやく登場する。パジョンは1934年に発刊された「簡単朝鮮料理製法」に「파초대」という名前で初めて登場したパジョンて、オームパジョン、パジダン、パジョク、オムパジョニャなど、様々な名前で呼ばれた。1979年にソウルで開かれた「八道珍味大祭典」には、慶尚道の名物でパジョンが紹介されて1981年に開かれた「国豊81」という行事では東莱パジョンが登場する。
パジョンの中で最も華やかで有名な東莱パジョンは、「炭火で熱した鉄板に練りこんだうるち米の粉を残しておいて、その上に薄いセリとネギをのせてしっかりみじん切り後、丈のムール貝と真牡蛎、牛肉をのせて少し煮て戻ってその上にうるち米の粉生地を差し地鶏が生んだ卵を甘やかしてパジョンを作っている。祖母が40年の間(1930年代から)作ってきたパジョンは昔から慶尚道地方で伝えてきたことで晋州を一番に打ってきたが、最近では、東莱が、その脈を受け継いだという。」(1973年8月1日付の朝鮮日報)
シーフードを使った煎のレシピは、19世紀末使われた「是議全書」に初めて登場する。1970年代半ばには、盈徳でカニの身で作ったパジョンもあった。慶尚道食べ物のパジョンがソウルなど大衆化されたのは、1960年代末に始まった粉食奨励運動のおかげであった。明洞や慶煕大周辺の小麦粉とネギ、豚肉を入れて肥沃で肉厚のパジョンは、若い人たちに大きな人気を得た。
パジョンが大衆化された後に四六時中食べる食べ物となったが、ネギとセリが青々と新芽が出るとき、こくのあるパジョンを遠方から訪ねてきたうれしい友人にもてなすことが世の中を生きる楽しみ」(1973年8月1日付の朝鮮日報)だったほどパジョンは、春の始まりを知らせる味覚の伝令士であった。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2016/03/30/2016033000126.html
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