[バクジョンベの韓国料理の誕生]モクズガニを浸すケジャン、ワタリガニに変わった事情は?
食べ物コラムニスト・「食べ物江山」著者バクジョンベ
入力:2014.10.22 00:51
[9]ケジャン
2009年忠清南道泰安海域で発見された高麗時代の船、馬島1號船に載っていた竹札(文を書いた竹彫刻)でケジャンを意味する「蟹醢」という文字が発見された。<写真>国内で現在までに確認されたケジャンに関する最も古い記録である。
本来秋珍味のケジャンは蟹醬、蟹腸、蟹醢、蟹胥、蟹黃など多様に呼ばれた。17世紀半ば使われたハングル料理書「飲食知味方」には、塩水で漬けた「蟹醢(塩ケジャン)」とカンジャンで漬け込んだ「藥蟹醢(カンジャンケジャン)」が出てくる。藥蟹醢は「カニが五十匹程度であれば濃いカンジャン二升、ごま油一升に生姜、胡椒、山椒を交合して塩辛く煎じて冷やし、カニをきれいに洗って二日ほど飢えさせて、その国に漬けて熟せば使う」と出てくる。今のカンジャンケジャン浸す法はほとんど同じである。
過去ケジャンは主にモクズガニを使用した。朝鮮時代から1960年代までの最大のモクズガニ生産地は京畿道坡州であった。坡州に中でも月篭面徳隠里玉石川から捕ったものは、王に進上されている(1935年10月3日の毎日新報)名品だった。「本来ケジャンは、特別な風味がある食べ物で酒膳や食卓になくてはならない珍味になったが、実際は、この美味しい食べ物が咳嗽や血痰を醸し出す土疾(ジストマ)の原因」(1924年5月2日東亜日報)とされたせいで日帝は1924年モクズガニの漁業と販売を全面的に中断する。坡州住民の10年にわたる陳情により1934年にモクズガニの食用が再び許可されカンジャンケジャンを缶詰に入れて販売するなど衛生が強調される。
ケジャンは秋、特に霜が降りるという霜降(霜降・10日23日頃)の直前雌蟹を最高に打った。霜降頃雌蟹の甲羅の中に生じる黄色い内臓を「腸」と呼んだ。新鮮な腸と古くて濃いカンジャンが混ざって発酵させたケジャンを新米ご飯に混ぜて食べるのは秋美食の頂点であった。1960年代半ばに入り、十分に熟成されていないモクズガニで漬けたケジャンためジストマが再び社会問題になると、海のワタリガニを利用したカンジャンケジャンが本格的に食卓に上がる。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/07/02/2015070202072.html
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