2017年1月18日水曜日

[バクジョンベの韓国料理の誕生]中・日・ロシアの明太... 語源はすべて韓国語

バクジョンベ料理コラムニスト・「食べ物江山」著者
入力:2014.11.18 23:12

[11]明太



明太の最も古い記録は、「承政院日記」孝宗3年(1652年)10月8日に出てくる「進上した大口魚ジョトに明太ジョトが混ざっている」と知られている。しかし、筆者が確認したところによると朴繼叔・朴就文父子が40年の差を置いてそれぞれ1年間咸鏡道会寧で初級文官として勤めた当時のことを記録した「赴北日記」仁祖23年(1645年)4月20日に出てくる「生明太(生ミョンデ)」が一番古い記録である<写真>。

明太は長い間、韓民族が食べてきた海の魚である。ロシア語「ミンタイ(минтай)」は、韓国語ミョンデから来たものである。中国でも「明太」とそのまま使用したり、小さなタラという意味の「狹鱈」で呼ぶ。日本の明卵ジョト「メンタイコ(明太子)」も同じだ。

明太(スケトウダラ)は東海岸の北部が最大の産地である。「赴北日記」や「承政院日記」の記録が登場する17世紀半ばに明太漁が本格化した。黄海のニベと東海の明太は朝鮮の二大魚種であったが、明太が保管と流通がはるかに容易で、より広く食べた。1990年代までやっと捕まえていた明太は今大韓民国では種が滅びた。国内流通されている明太はほとんどロシアからの輸入である。

明太は冬が旬である。産地では明太と呼ぶが、流通のために凍らされたのは凍太、乾燥したものは北魚と呼ばれた。「銀魚受け」という名称は、明太が餌の銀魚(ハタハタ)についてくるので付いた名前である。色が黄色になってぽっちゃりした最優良の乾明太は「ツルニンジン北魚」あるいは「黄状態」と呼ばれていたが、今日の黃太である。

咸鏡道で主に生産ていた黃太は、分断後の江原道束草周辺に集まった避難者によって韓国で生産され始めている。咸鏡道と天気が似たような平昌郡横渓里と麟蹄郡竜台里のような海抜平均700mを超える高地で作られる。

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/07/02/2015070202076.html

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