日本から入ってきたかき氷... 最初に1897年独立新聞で言及
入力:2014.08.14 05:03
かき氷(氷水)は、日本を介して来た食べ物である。1897年8月5日独立新聞に記載されて"シュピョ橋(水標橋)ビンシュ売る家でビンシュを買って食べる」という一節は、現在までに筆者が確認したかき氷に関連する最も古い記録である。
皇城新聞1900年7月2日には、「氷水店(かき氷店)」が漢字で登場する。かき氷店では、かき氷だけでなく、ラムネ(レモネード)、サイダーのような清涼飲料も売った。
当時かき氷は「熟したレモンやイチゴを汁(汁)を出して、砂糖に乗って」(毎日新報1930年7月12日)を食べる一種の「果実かき氷」(東亜日報1920年8月7日)であった。当時人気のあった果実は、「タルギムル(イチゴ水)」と「パナナムル(バナナ水)「(東亜日報1926年5月24日)などであった。
かき氷と最初に言及された国内記録である1897年8月5日独立新聞。バクジョンベ提供
最高の人気は断然「真っ赤なタルギムル(イチゴ水)」であった。「愛する人のボードを過ぎヒョクト味ガトゥン味を氷に詰めた味!オルタその味である。」(別乾坤1929年8月1日)
1915年に日本人が主に居住するボンジョン(忠正路・明洞)だけで321のかき氷店があったし韓国人が居住する鍾路には、121のかき氷店あったが、相当数が日本人たちが運営するものであった(毎日新報1915年8月7日)。
手で機械を回すと、氷が自動的に分かれる「廻轉氷造機」の使用は、1920年代後半から本格化する。以前は手で氷を行く「普通台上氷造機」を利用した。かき氷商売は5月初めに開始して9月末まで続く季節商売であった。
そのため、かき氷長寿は「冬にはサツマイモ商売、小豆粥商売、饅頭(餃子)商売、うどん商売"(東亜日報1933年9月6日)に生計を繋いだ。
今日の氷小豆(ハッピンス)と同じようなかき氷と推定されている「サタンパッ(飴小豆)」(東亜日報1933年9月6日)も売ったという記録があるが、氷小豆は、1970年代以降、普及する。朝鮮時代から夏の保養食で食べた小豆とはったい粉、餅が入ることが韓国式かき氷の特徴である。しかし、韓国式かき氷文化の最大の差別化は、ビビンバのようにかき氷の上に各種材料をのせ、これを混ぜて食べるという点にある。
http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/08/13/2014081304001.html
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