[バクジョンベの韓国料理の誕生]貧しい庶民救った食糧... 1980年代からの健康食に格上げ
バクジョンベ料理コラムニスト・「食べ物江山」著者
入力:2016.05.18 03:00
[44]麦飯
尹善道(尹善道・1587〜1671年)は、流刑地で書いた「食卓に向き合って」という詩(1645年・仁祖23年)で「玉泉いっぱい酌んで麦飯に混ぜて食べると、幽人の暮らし向きは貧しくないよ」と詠んでいる。
日が暑くなると冷たい水に芳ばしい麦飯を混ぜて食べて暑さを払ったのは昔も今も同じだ。大麦は、貧しい人々に救いの食料であった。朝鮮時代から1960年代までのこの時期(5〜6月)は、春の端境期であった。米は落ち大麦はあまり熟しておらず収穫できない飢餓の時期であった。茶山丁若鏞は「長鬐農歌」で「春の端境期は険しい峠、泰山のように険しい峠」と嘆いている。
1世紀頃、韓半島に入ってきた大麦は、韓半島の気候とよく合って農業が良い作物であった。欠点は、搗精が難しく堅いものである。両班や金持ちは米飯を食べたが、庶民は大麦のみで作った大麦飯や麦にご飯を少し混ぜてご飯を食べた。
世祖は臣下たちに「儒者中の知識レベルは高いが、謙虚ではない者が多いので、もし民を治めると、必ず意を低くして高慢にしてはならない。今麦飯を授ける意味を君たちは知るだろうか」と麦飯を授けた。
朝鮮時代にも麦飯は水に混ぜて食べたり、サンチュの葉で包んで食べた。松南雜識(松南雜識・19世紀末)に麦飯は節日に食べる時食として登場する。海東竹枝(海東竹枝・1925年)には「五月節句の日に初物の大麦を家廟に上げるのに麦飯と蜜を混ぜた麥水團を食べる」と記している。
日帝強佔期の1942年に京城帝国大学が発刊した「土幕民の生活・衛生」という冊子には、米35%に大麦64%を混ぜた麦飯を食べる韓国農民の話が「食事の貧しさ」の見本として登場する。
1960年代に入って混粉食奨励運動が本格化し大麦は行政命令によってご飯に必ず入らなければならない必須の穀物になる。学校では、ご飯に麦が入ったのか弁当検査をした。
1980年代以降、白米より玄米や麦が健康に良いという認識が広がり、麦飯は、健康と味で食べる珍味に格上げされた。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2016/05/17/2016051703695.html
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