食べ物コラムニスト・「食べ物江山」著者バクジョンベ
入力: 2014.07.09 05:39
[1]参鶏湯
1921年9月11日付の「毎日新報」に掲載された朝鮮料理店「海東館」開店広告末尾に「鷄蔘湯 -補元劑で極上品」という文面が登場する<写真左の白い線>。鷄蔘湯つまり参鶏湯に関する、筆者が現在までに確認した最初の記録である。偶然にもすぐそばには、高麗人参と鹿茸を達人「蔘茸補益水」広告も登場する<写真右>。日帝強佔期以来、高麗人参粉と人参錠などの製品や高麗人参を利用した食品が披露された。
「参鶏」という名称は、開化派金允植が書いた日記「續陰晴史」1886年9月16日に初めて登場する。高麗人参を鶏に入れてじっくり煮込んだ「蔘鷄膏」がそれである。「参鶏湯」という言葉は、1923年に日本総督府が作成した「中樞院調査資料」に初めて出てくる。この資料には、「夏の3ヶ月間毎日蔘鷄湯すなわち雌鶏の腹に高麗人参を入れてとった液を精力藥で飲むが、中流以上で飲む人が多い」と書かれている。
補薬以外の料理として参鶏湯と最も類似した食品の記録は、1917年版「朝鮮料理製法」に登場する「ダルグク」である。1924年発刊された「朝鮮無双新式料理製法」には、同じレシピの料理が「鷄湯」という名前で紹介されている。1950年代半ばから現在の参鶏湯のような鷄蔘湯が外食に登場する。参鶏湯が大衆化されたのは、1960年代に養鶏産業が本格化してからだ。1980年代に入ってアジア大会とオリンピックを経て補身湯が問題になるとすぐに参鶏湯が国民の夏の保養食としての地位を占める。
「鶏湯」は、鶏肉ではなく、鶏のゴングンムルを薬として食べた。最近も参鶏湯で名が知られた食堂に行ってみると鶏が小さい。肉を食べるのではなく、スープを主に食べるからである。スープを保養に食べた参鶏湯文化の基本は変わらないだろう。韓国人が好きだった保養食はいつのまにか、外国人が最も愛する韓国の食べ物となった。韓食世界化は強制的にではなく、自然な受け入れから来る。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/07/02/2015070202045.html
續陰晴史 卷一 高宗 24年 丁亥 5月~12月 高宗 24年 丁亥 9月
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