2017年1月18日水曜日

[バクジョンベの韓国料理の誕生]テンジャンよりも早く熟成した戦争用食品

バクジョンベ料理コラムニスト・「食べ物江山」著者
入力:2015.03.04 00:50

[16]清麹醤


清麹醤は王から庶民まで、韓民族誰でも楽しんで食べてきた冬の食糧である。1796年正祖の華城行次をハングルで記録した「整理儀軌」に登場する「チョングクジャン쳥국쟝」は清麹醤の最初の記録である。

韓民族が清麹醤をいつから食べたのかについては、明確な証拠はないが、長く捉えれば三国時代までさかのぼることができる。408年当時百済の地だった全羅南道羅州興德里古墳で発掘された「墨書銘」に「鹽豉」が出てくるからである。「豉」は、味噌玉麹を意味する漢字でよく通じるが、清麹醤である可能性も非常に高い。19世紀半ばに書かれた「五洲衍文長箋散稿」には、「戰國醬」が4回登場する、「豉をわが国では戰國醬と呼ぶ」と書いている。1527年崔世珍が書いた漢字学習書「訓蒙字會」にも「젼국시」と出てくる。

テンジャンより熟成期間が短い清麹醤は簡単に作れて早く食べられるので、戦争用食品から始まったという說もある。朝鮮後期の文臣・学者金榦の詩文集「厚齋集」(厚齋集・1766)は、「戰國醬は七雄戰爭時に作ったとするのは、どこから出てきた話なのかは分からない」と書かれている。清麹醤が戦争用食品という俗説についての最も古い記録である。

清麹醤で料理を作る調理法を最初に紹介した記録は1766年に書かれた「増補山林経済」だ。ここでは、清麹醤を「煎豉醬」と表記して「俗称戰國醬と呼ぶこともある」とし、霜が初めてもうもうと座る時に初物の豆をじっくり煮出して藁束で包んでオンドルに3日間置いて糸形のカビが発生した場合取り出して挽いて茄子、キュウリ、大根などを混ぜて食べる」と記載されている。同様の方法で作った料理が「閨閤叢書」(1809)には「淸肉醬」と出てくる。

全羅道では清麹醤に豚肉を入れて食べて、忠清道では清麹醤をダムブクジャンあるいはパンパンジャンと呼ぶ。ソウルでは、牛肉入り牛のグクを煮て清麹醤に注いで食べる「チャゲ清麹醤」(1987年10月2日京郷新聞)が冬季珍味で有名だった。

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/07/02/2015070202080.html

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