2017年1月17日火曜日

[バクジョンベの韓国料理の誕生]夏の寵児「アイスケーキ」... 台湾・日本を経て韓国に

食べ物コラムニスト・「食べ物江山」著者バクジョンベ
入力:2014.07.16 01:13

[2]アイスケーキ

「アイスケーキ아이스케키(아이스케이크)」、すなわち串を挟んで作った氷のお菓子が国内に登場した年は正確に知ることができませんが、1934年を大幅に超えていないと思われる。筆者が確認した国内最古の記録は、1934年6月25日の毎日新報の記事だ。<写真>この記事によると、アイスケーキは、登場するや否や大きな人気を集めて「夏節の寵児」となる。

アイスケーキは和製英語である「アイスケーキ아이스케익」(1934年7月3日東亜日報)から来た言葉だ。アイスケーキはアイスケーキ아이스케이크やアイスキャンディーとも呼んだ。元の名前は「ポプシクル(popsicle)」である。1905年、米国フランク・エパーソン(Epperson)が開発したアイスキャンディーは、1920年代半ば以降、台湾を経て日本に上陸した後、韓半島に流入される。少ないお金で大きな利益を出すことができたため、「特におよそ数年来で寵児となったアイスケーキは、昨年に比べ夏夜府内(府內・ソウル)のみで二倍も増加し、行商数も跳ね上がり、倍を眺めている」(1938年5月13日東亜日報)とするほど人気が多かった。しかし、衛生問題で不良食品の代名詞という汚名一緒に得る。


解放と戦争後もアイスケーキブームは続く。1960年当時の人口250万人程度のソウルには氷菓子家が293箇所(1961年9月11日東亜日報)もあった。1963年保健社会部では氷菓子行商を統制するために、「行商記章」を付けるようにするほどであった。1962年の「三江ハード」が登場し、1967年までにアイスケーキの市場を主導する。
1967年ヘテ製菓がアイスクリームの生産を開始し、1970年に「ブラボーコーン」を発売した。この時から氷菓市場はアイスケーキ・ハードからアイスクリームを中心に変えた。1970年代初頭に移り、アイスケーキは、急速に消える。「夏になれば、路地を歩き回って長く引っ張っていたアイスケーキが、質が高く値安く種類が多いアイスクリームに押し出されて今や跡もない。」(1972年5月30日東亜日報)

アイスケーキ行商は消えたが、アイスケーキが完全になくなったわけではない。まだ夏であれば飛ぶように売れる「ハード」が最終的にアイスケーキだからだ。

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/07/02/2015070202052.html

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