[バクジョンベの韓国料理の誕生]マヨネーズ・チゲ... レシピ様々な人気のおかず
バクジョンベ食品コラムニスト
入力:2017.01.04 03:04
[55]明太子
1月がなければならない海の中はしっかりと冷えて東海、北の海には、スケトウダラが集まってくる。東海北部の冬の魚であるスケトウダラが1990年代以降、韓国ではほとんど消えたが、スケトウダラの卵を唐辛子と塩で加工した明太子の人気は相変わらずだ。
明太子に関する記録は、孝宗3年(1652)10月8日の「承政院日記」に明太魚卵で初めて登場する。スケトウダラ卵に浸した明太子は「増補山林経済(增補山林經濟・1766年)」に明太魚醢で、「五洲衍文長箋散稿(五洲衍文長箋散稿・1850年頃)」には、北魚食醢で出てくる。
私たちの明太子を近代的に商品化したのは日本人だった。1893年、日本が自国の漁師たちのために、朝鮮の海事情を記録し発刊した「朝鮮通漁事情」に明太子が登場するのに「日本人の口によく合う」と記している。江原道襄陽に日本人が建てた樋口商店は、「メンタイコ(明太子)」、すなわち、明太子を1907年頃から作って販売を開始する(明太子開發史・2008年)。以来、襄陽と釜山、咸鏡南道元山で生産された明太子はメンタイコという名前をつけて下関港を通じて日本全域に売れていく。
メンタイコ人気のためにスケトウダラ主産地である咸鏡南道には1937年明太子加工工場が599箇所(1937年8月6日、朝鮮日報)もあった。それだけでなく、「明太マヨネーズ」(1936年7月19日、朝鮮日報)などの料理が開発されたり、スケトウダラの卵を原料としてMSGのような人工調味料の開発をしようとするほど(1936年12月25日朝鮮日報)に人気が高かった。
明太子は、さまざまな方法で調理して食べた。「明太子を生で食べる時は丈夫なのを選んでとんとん撮っておいて黄色い葱を切って添えて食べるとモチットモチットても普通の味がたくましくします。生を嫌うこれは明太子を切って入れて、これで味を合わせて黄色い葱と豆腐店のように鍋を沸かすのをお勧めします。もう一つは明太子一本ずつ水に振っていくことに通してつけアール巻き込ま卵のようになればスルオソも食べました。」(1931年1 月30日東亜日報)
日帝強佔期には明太子があまりにもありふれ「正月過去アルジョト(たらこ)は床下の犬もいや食べる」という言葉があるほどだった。スケトウダラはまだたくさん取れる北朝鮮では今でもスケトウダラアルジョンや明太子茶碗蒸し、スケトウダラアルジョトチゲ、スケトウダラアルバプ等、様々な方法で明太子料理を食べる。しかし、スケトウダラが珍しくなった1990年代以降、韓国の食卓では、少し見慣れない食べ物となった。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/01/04/2017010400009.html
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