2017年1月26日木曜日

[バクジョンベの韓国料理の誕生]薬として考えていた蜂蜜入れデボルムナルた貴重なご飯

バクジョンベ料理コラムニスト
入力:2017.02.15 15:06

[57]薬飯

もっちりしたもち米に松の実、クルミ、栗など香ばしいナッツと干し柿、ナツメなどのドライフルーツを入れて醤油と蜂蜜の間をした薬飯(藥食・略式)。小正月の試食(時食)であり、祝日やジャンチトナル欠かせない貴重な食べ物だった。

薬飯という名前は、蜂蜜を入れて炊いたご飯という意味で付けられた。過去、私たちの祖先は、普段のお誘いが難しいほど耳た蜂蜜を薬として考えた。丁若鏞(丁若鏞・1762〜1836)は、牧民心書(牧民心書・1818年)で薬飯の代わりに蜂蜜を意味するミル(蜜)を付けてミルバプ(蜜飯)と呼んだ記している。三国遺事(三國遺事・1281年)でカラスが新羅の王を求めた故事に登場して誤植(烏食)、もち米になるし、ヒャンバン(香飯)としても呼んだ。


薬飯は韓国だけでなく中国でも古くから人気が高かったので「元祖韓流食品」と言える。ホ・ギュンは図們大作(屠門大嚼)で「中国人は約半分を好む。彼らはこれを学んで作成考慮半(高麗飯)と呼ぶ」とした。ギムメスン(金邁淳・1776〜1840)が書いたヨルヤン歳時記(洌陽歲時記・1819年)には、「中国に渡った朝鮮使節が中国人に略式を作成分けてくれれば耳がその味を見て大喜びして非常に好きだった」としたほど人気の高い韓民族の食べ物だった。

日本植民地時代には、その華やかさと豊かな味わいなので、「この頃、各料理店では、四季(私鉄)を問わず薬飯が終了理想に上がらない時アップしました」(1934年2月13 日付の朝鮮日報)とマスコミに登る降りるほどだった。

一年が始まる年初に薬飯を食べると病気にかからないたので、それこそ薬として余り落とさを知ることができる。聖賢(成俔・1439〜1504)は、自分の文集ホベクダンジプ(虛白堂集)で「薬飯(香飯)を最初夜明けに棒して賃金に捧げるコンテストの学士に分けジュシネ」と詠んでいる。名前のように香ばしい味と粋が込められた料理である。


http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/02/15/2017021502152.html

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